少しここ吐き出します。
憂鬱な日が続いているところで、「いろんなことに気づいちゃう度」という尺度の導入を東海道線に乗っている時に検討した(東海道線は駅と駅の区間が長いので物思いに耽りがちになる)。この検討をしたのは、気持ちが滅入っているとき、その状態にてきとーな名前を与えることで単純なイメージになり、ほんの少し気持ちが楽になれるからだ。
「いろんなことに気づいちゃう度」とはその名の通りいろんなことに気付いてしまう度合い、他人が何を考えているのか、自分が何を考えいるのか、上から見下している感じ。ちなみに僕のいろんなことに気づいちゃうレベルは中の上である。自分で言うのもなんだが中の上である。小さい頃から中の上である。ほとんどの人は中の中であろう。はてなにいる人は中の上であることが多いと何となく思う。
僕がひとつ上の「上の下」レベルになれないのは、いろんなことに気付いたところでそれを生かした行動ができないからだ。ただ他人のせこせこした面や自分の卑しさに気付いてしまうだけ。他人のいい面やわるい面に気付いても誉めたりフォローしたりできない。それでは気付かないのと同じではないか?その通りだ。
また、「下」レベルは勘違いがちな人である。しかし勘違いでもプラス方面に勘違いしていると得てして大化けするケースがある。侮れない。
ところで僕が所属する中の上であるが、結局いろんなことに気付くだけで何もできないので、気付き損である。たまたま知り合ったある占い師に「キミは結婚うまくいかないかもね」と言われた。続けて、「キミはいろんなことに気付いてしまう性格でしょ。だからそれがいつも近くにいる相手を逆なですることになるよ」と。損なことばかりである。