2008-06-23

 理由を訊かれても答える準備がない。誰にも伝えたいことはいつも何もなく、ただ何もないなりに理解されることに飢えていて、だけどそれ以上に怯えている。何をいっても分かってもらえない、と弱者いいわけをする前に、何をいえばいいのだか分からなくなってしまう。私の不安、私の不満、私の不幸、私の甘え。「だけど、それがどうかした」現実を突きつける言葉の前にいつも口をつぐむ。どんなことも大したことがない、という事実を知っている。

 私は知っている。感情を殺すということを。

 私は知っている。目をつぶるということを。

 私は知っている。無関心の心のありさまを。

 そうしてそれが大した苦痛ではないことを。

 いつも、思う。耐えきれないと口にするから耐えられないのであって、耐えきれないと口にするまでは黙って頑張って耐えていけばよい。嫌だと思う感情と、それを抑え込む心とを別のところへしまってやれば、耐えきれないと感じる問題も実はさしたる苦痛ではなくなってくる。

 それが危うい意識操作であることを薄々は知っていながら、でもいつも、どこで音を上げて、どこで助けを呼べばいいのか、どの時点で悲鳴を上げ、どこまでいけば他人の手を借りていいのだか、私は分からないのだ。どうしたのと訊かれたって、いったい何が嫌で、どうしてほしいのか、そういう主体性と自主性を持った明確な主張ができず、明確でないしどろもどろの、ぐずついた訴えはするだけ邪魔くさいから、すると私はやはり、何もいえなくなってしまう。卑怯だと思う。

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