http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/08/news104.html
これは流行らんだろう。
なぜなら「想像力の飛躍」が無いから。
容姿と背景設定と、あとは基本的な性格(委員長タイプとかツンデレとか)さえあれば事足りる。
ではたったそれだけの情報から、どのように物語は紡がれるのか。
言い換えるのなら、キャラクターと物語の間にある溝を、オタクたちはどのように乗り越えるのか。
それこそが冒頭で挙げた「想像力の飛躍」なのだと思う。
自信過剰で小生意気なクラスメイトが時折見せる優しさに、彼女の素直じゃない本心を見出してニヤニヤする。
あるいは、無口な少女が人知れず悩みを抱えていることに気づき、たまらなく愛おしく思う。
あまりにベタな例で申し訳ないが、ここにこそ萌えの本質があるのではないかと思う。
「キャラクターの基本設定」×「想像力の飛躍(オタクの過剰な思い入れ)」=「萌え」
この掛け算が成立するからこそ、美少女ゲームは数多のオタクたちに支持されてきたのだ。
(キャラクター造形が多少甘くても問題ない。重要なのは「想像力の飛躍」を促すストーリー上の「仕掛け」である)
「仮想空間でお気に入りのキャラクターを育て、一緒に生活できる」らしい。
今までキャラクターと「萌えの交流」を深めてきたオタクたちにとっては、まさに夢のような空間と言えるだろう。
しかし、そこからの発展性を見込むのは少々厳しい。
ただキャラクターと一緒に暮らすだけでは、折角の「想像力の飛躍」も入り込む余地がほとんど無いからだ。
そうなれば、行く末はどうなるのか。
オタクの特質として、熱狂的に盛り上がる反面、飽きてしまえば見切りをつけるのも早いだろう。
「3D仮想空間での生活」というコンセプトから見るのなら、いくら毛色を変えたところで
結局はセカンドライフのわだちを踏むだけではないか。