絶対的に悪いのは米兵であって、その悪性は、どんな事情があろうといささかもよくならない。
これを前提に語るべきです。
ここで、「被害者を責めると実質的、あるいは相対的に悪性が減少するんだ」と考えるか「悪は悪、悪性は減じることはない」と考えるかの違いが、結論の違いだと思うんです。
前者だと思えば、「米兵は悪」という前提がしらじらしい言葉遊びになりますし、
後者だと思えば、原因を語るのがなにが悪いという発想につながります。
この構図の不一致が見解の相違につながっているのだと思います。
法治国家云々は違うと思います。司法の場では被害者側の落ち度も考慮に入りますので(何の落ち度もないのに、という風に使われることが多いですが)。
もっともそれは量刑に考慮されるだけなので、悪性には影響しませんけどね。