2008-01-09

戦火の中

墜落論を読んで。。。

 戦火の中、防空壕の中で震える体を抑えながら私は、ふと頭に過ぎる一抹の不安に心を揺らしていた。

(あぁ君よ、美しく死にたもうなかれ)死する事で世の中に別れを告げ、永久の時の中に己の苦悩を任せることで、

この世からの解脱を図るその事を美徳とするならば、人は何故に今宵の月の如く儚げに移ろい行くものなのか、

人の心ほど奥知れず君の心を理解しようとする試みすらも空虚で無垢な計らいの中に露と消えてしまうだろう。

 処女のままこの世を去りて、死に逝く乙女の純白の決意に、私は少しの喜びと理解の念を抱いていた。

私の従弟の娘が齢十八の時に自らの命を絶った時、どこか消え入りそうなほど美しかったかの娘が自らその美しさを永遠にする様を見て、

あぁ角も人とは儚さに自らの美しさを永久という時の中に映し出すのだろうかと、思いを馳せていた。其の時からだろうか、私は人とは、

途にも未熟であり続けるものなのであるという事も含めて考えていた。

 外では激しく爆弾が降り注ぎ、小笠原からやってきた飛行機の群れは、今は見るも無残に変わってしまった銀座の街並みを更に戦火の渦に巻き込んだ。

夜空は明るく照り返し、怒涛の如く大地を揺るがしていた。その中で私は、声にならない声を上げ、歯を食いしばりながらも、過の者が問う問いに答える。

「あれは照明弾なのだろうか、焼夷弾なのだろうか」

静かに口を開くそのものの問いを自問自答しながら、こういった時に人は本当に腹に力を入れ心から声を出さねば、声が出ないという事を知る。外から漏れる光と共に防空壕の中では蒸し返すような熱さと、外から聞こえる火鉢の音から私は絞るような声で、

「きっと焼夷弾だろう、そうに違いない」

と応えるので精一杯だった。

 嵐が静まり返り、静寂の中に人々の息遣いが微かに児玉していた。

何かを一心不乱のように探しているかの如く、どこか焦点の合わない目を馳せながら、崩れ去る栄光を惜しんでいた。

途にも角にも人とはいつか墜落してゆくのである。

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