2007-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20071219092410

もっともそうな事書いてあるけど

加害者が悪いってのは当然みんなそう思ってるんじゃないの?

「虐められる側に原因がある」かどうか、この「原因」の捉え方が問題と思う。

成長途中の人間が虐めの対象として選ぶ原因が虐められる側あるか?--->Yes

成長途中の人間が虐めという行為にいたる原因が虐められる側にあるか?--->No

(虐めを行うような成長途中の人間が存在する原因)

この違いをきっちり認識する必要がある。

いつの時代も「成長途中の人間」が存在する以上道理だが、それは「無くそうとしても無駄」という理屈にはならない

と書いてあるとおり、いじめを行うような成長途中の人間を減らしていく努力をしなければならないのは当然だけど、いじめられる人間がいつの時代も存在するのもまた事実

つまり対処療法的ではあるけれども、いじめられる側人間を減らす努力として、いじめられる人間に対して変化を促すのも当然の事と考えられる。

もちろん対処療法的ではない虐める人間を減らすって方が大事でもっと真剣に取り組むべきだとは思う。

被害者を救う必要はない。加害者側を救えば被害者自動的に救われる。

こんな理想を言ったってしょうがないじゃない。この瞬間にも虐められて苦しんでいる人がいるのだから、いつだって虐められてる人にとっては緊急時だよ。

増田さんに聞きたい。

”愛に飢えた”虐める側を救うにはどうしたらいいの?

記事への反応 -
  • 其の零「虐められる側にも原因がある」  "原因の追究"を途中で止めた結果陥る、典型的な錯誤である。理由がどうあれ、数ある選択肢の中からその行為を選択しているのは行為者自身。...

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