前者は「釣り」という誤った情報が広がることを嫌っている。
後者は「釣り」をフィクションのひとつとして楽しんでいる。
「釣り」という誤情報は、周囲に悪影響を及ぼす。
その誤りを正すことによって釣りは無毒化される。
つまり、釣りを糾弾する声が、釣りの存在を保証することになる。
両者が満足するのは「釣りが無毒化される」時だけである。
なので、釣り反対派は釣りの無毒化を強制される。
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