2007-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20071128200235

今のアンタは「アキレス腱切ったアスリート」みたいなモンだな。

死にたいだろう。走れないなら生きてる意味なんてねえよ、と思うかもしれない。

「生きろ生きろ、生きてるだけで価値がある」なんて腐った台詞に耳を傾ける気も起こらないだろう。

オレもアスリートだ。

アキレス腱も、あんたと同様伸ばしかけてるかもしれねえ。

だから、言いたいことは分かるつもりだ。

だがな。吠えたところで何も変わらない。愚痴ったところで始まらない。

「あんたがもう一度元のように走れる日は二度と来ない」

その冷徹な事実は、直視するしかないんだ。

あんたは一流アスリートだったのに、自分の身体をきちんとコントロールできず、オーバーワークなんて初歩的なミスをやって、結果アキレスを痛めてしまった。残念ながらこれは自業自得だ。

一流ならそこは、まず認めよう。医者の言うことも、素直に聞こう。

さあ、そこで考えてみようじゃないか。

あんたが一流のアスリートだったのは、なぜだ?

生まれつき人より足が速かったからか。生まれつき人より何かができたからか。努力せずにたまたま何もかもを手に入れてきたからか。

……違うだろう?

確かに生まれつきの何かもあったかもしれない。でも一流になるために、あんたは色々なものを我慢してきただろう。努力してきただろう。いつも自分が何をすべきか考え、人の寝ている時間に努力し、人が遊んでいる時間にどうすればいいか考え続けたからだろう。トラブルが起こっても腐らず投げ出さず、全力で問題と取り組んで勝利をつかんできただろう。見えない努力を積み重ね、生活の全てをなげうち、単なる金銭欲や名誉欲ではなく、アスリートであることに心からの誇りと満足を感じていたんだろう。

…あんたはあらゆる意味アスリートだったんだろう?

早く走れるからアスリートなのではない。

努力するから、し続けるから、常に走り続けるからアスリートだったんだろう。冷静に計算を積み重ね、ねばり強く努力し、負荷に耐え、誇り高く、勝利を信じて走り続けるからアスリートだったんだろう。アスリートなんだろう。

なんだか自分に語ってる気がする……けどもう少し喋らせろ。

いいか。

アスリートなら、言い訳するな。

「足を痛めた『から』負けた」とか

「横腹が痛くなった『から』成績が伸びなかった」とか

そんな言い訳は、止せ。

ただ「負けた」

ただ「筋を痛めた」

That's all.

死ぬなら、ただ「死ぬ」。

生きるなら、ただ「生きる」

心を病んだ『から』死ぬとか、病んでない『から』生きるとか、

そんなもんじゃねえだろう。アスリートというものは。

あんたがどうする積もりかは知らない。

ただ、アスリートであった自分を汚すことだけは止めてくれ。

それは余りにも痛々しい。

トラブルはあんたから「走れる脚」を奪ったかもしれないが、何もあんたから「アスリートであることの誇り」を奪うことはできないんだ。脚が無くても、あんたはアスリートであり続けるんだ。右手が、左手が、まばたきが、歯の一本が動いてくらいつくことができる限り、いや、たとえ全身の動きを止められようと、何もあんたからアスリートで有り続ける誇りを奪い去ることなんてできないんだ。

一度アスリートだったものは、死ぬまでアスリートなんだ。

かっこ悪くてもアスリートなんだ。

アスリートとして生き、アスリートとして死んでくれ。

死の瞬間まで、「敗者として」ではなく、「アスリートとして」の満足感のうちに死んでくれ。

いいか

人生というレースの

ここはまだゴールじゃない

「今の仕事」というこのレースは、

アキレス腱のばしたんだから無理しちゃいけない。

棄権するんだ。

恥ずかしいことじゃない。

単なる調整の失敗だ。

でも人生というツアーレースは

色々なレースの総合成績を競うレースは

まだ終わらない

人生のレースは

あんたのレースは

アスリートのレースは

まだ

ゴールじゃないんだ。

矢折れ

刀尽きても

そこに道がある限り

ただ愚直に一歩を進め

ゴールを求めて走り続けるんだ

アスリートとして。

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