今のアンタは「アキレス腱切ったアスリート」みたいなモンだな。
死にたいだろう。走れないなら生きてる意味なんてねえよ、と思うかもしれない。
「生きろ生きろ、生きてるだけで価値がある」なんて腐った台詞に耳を傾ける気も起こらないだろう。
オレもアスリートだ。
アキレス腱も、あんたと同様伸ばしかけてるかもしれねえ。
だから、言いたいことは分かるつもりだ。
だがな。吠えたところで何も変わらない。愚痴ったところで始まらない。
「あんたがもう一度元のように走れる日は二度と来ない」
その冷徹な事実は、直視するしかないんだ。
あんたは一流アスリートだったのに、自分の身体をきちんとコントロールできず、オーバーワークなんて初歩的なミスをやって、結果アキレスを痛めてしまった。残念ながらこれは自業自得だ。
一流ならそこは、まず認めよう。医者の言うことも、素直に聞こう。
さあ、そこで考えてみようじゃないか。
あんたが一流のアスリートだったのは、なぜだ?
生まれつき人より足が速かったからか。生まれつき人より何かができたからか。努力せずにたまたま何もかもを手に入れてきたからか。
……違うだろう?
確かに生まれつきの何かもあったかもしれない。でも一流になるために、あんたは色々なものを我慢してきただろう。努力してきただろう。いつも自分が何をすべきか考え、人の寝ている時間に努力し、人が遊んでいる時間にどうすればいいか考え続けたからだろう。トラブルが起こっても腐らず投げ出さず、全力で問題と取り組んで勝利をつかんできただろう。見えない努力を積み重ね、生活の全てをなげうち、単なる金銭欲や名誉欲ではなく、アスリートであることに心からの誇りと満足を感じていたんだろう。
早く走れるからアスリートなのではない。
努力するから、し続けるから、常に走り続けるからアスリートだったんだろう。冷静に計算を積み重ね、ねばり強く努力し、負荷に耐え、誇り高く、勝利を信じて走り続けるからアスリートだったんだろう。アスリートなんだろう。
なんだか自分に語ってる気がする……けどもう少し喋らせろ。
いいか。
「足を痛めた『から』負けた」とか
「横腹が痛くなった『から』成績が伸びなかった」とか
そんな言い訳は、止せ。
ただ「負けた」
ただ「筋を痛めた」
That's all.
死ぬなら、ただ「死ぬ」。
心を病んだ『から』死ぬとか、病んでない『から』生きるとか、
あんたがどうする積もりかは知らない。
ただ、アスリートであった自分を汚すことだけは止めてくれ。
それは余りにも痛々しい。
トラブルはあんたから「走れる脚」を奪ったかもしれないが、何もあんたから「アスリートであることの誇り」を奪うことはできないんだ。脚が無くても、あんたはアスリートであり続けるんだ。右手が、左手が、まばたきが、歯の一本が動いてくらいつくことができる限り、いや、たとえ全身の動きを止められようと、何もあんたからアスリートで有り続ける誇りを奪い去ることなんてできないんだ。
かっこ悪くてもアスリートなんだ。
死の瞬間まで、「敗者として」ではなく、「アスリートとして」の満足感のうちに死んでくれ。
いいか
人生というレースの
ここはまだゴールじゃない
「今の仕事」というこのレースは、
アキレス腱のばしたんだから無理しちゃいけない。
棄権するんだ。
恥ずかしいことじゃない。
単なる調整の失敗だ。
色々なレースの総合成績を競うレースは
まだ終わらない
人生のレースは
あんたのレースは
アスリートのレースは
まだ
ゴールじゃないんだ。
矢折れ
刀尽きても
そこに道がある限り
ただ愚直に一歩を進め
ゴールを求めて走り続けるんだ
アスリートとして。