2007-11-13

空気を読む

というのは要するに、「今言ってもいい事」「今言うべきじゃない事」を見極める事ではないだろうか

そして「今言うべきじゃない事」を言った人間は、「空気読め」と罵られる。

では「今言ってもいい事」とは何か

それは「言っても害にならない事」と「言う必要のある事」ではないか

では「今言うべきじゃない事」とは何か

それは「言う必要のない事」か……いや、それは違う。

言う必要がなくとも、特に害にならなければ、言ってもよいのだ。

そして「言う必要がない」というのは詳しく言うと「今この場をぶちこわしてまで言うほどには、それは言う必要性はない」という事

つまり言う本人にとって必要があってもそれが「場を壊してしまうほど」必要でないならば言ってはならない。

例えばメンバーの中にペットを昨日亡くしたばかりの人がいるとする

そのメンバーがいる時に自分がしたいからとペットの話をする事は大抵の場合「空気が読めない」と言われる

それは、「ある一人がペットの話をしたい」と言う必要性よりも、「場を壊してしまわない」方が大事だからである。大多数の人がそう考えるからである。ある一人がペットの話をしたいという欲求を叶えたいがために、メンバー一人が深く傷つき、それによってメンバー全員が気まずい気持ちになる……それは避けたいと思う人が多数だからである。

空気が読めない人というのはその辺の塩梅を計るのに失敗している人である。

たとえばいくら場を壊してしまうからといって、頭に激痛が走るのを黙っている、というのはたいていの場合「読みすぎ」である。個人の必要性が場が壊れることより優先される時もある。勿論「頭が物凄く痛い」といえばこれまで和やかに会話していたメンバー空気は一変するだろうが、こういった場合はそれを差し置いてでも、場を壊してでも言うべきであろう。中には「いや、そこで痛いというのは空気が読めていない」と言う人もまた存在するだろう。その人にとっては、そういう塩梅なのだ。人によってこの塩梅が様々なために、ある一定のガイドラインが作れない。その場その場で総合的に判断していかざるを得ない。ゆえに空気を読むというのは難しいのである。

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