すごく今更なんだけど、興毅(亀1)の謝罪会見を見てしみじみ思った。
ヒトの人生の明暗って、めちゃめちゃ偶然というか、恣意的な部分というか、一瞬の場面で決まっていくんだなぁ、と。
だって今、あの会見によって、世論的には「興毅はよくやった、立派だった」って空気じゃん。ざっくり言えば。
さらに言えば、商品価値が保たれたっていうか、むしろこれから更正した姿勢見せれば大スターになる可能性も出てきたわけじゃない。
10年後、興毅が「いやーあの頃は辛かったわ。ま、あれがあったから今の俺がおるんやな」とか言ってる姿が目に浮かぶ。
逆に、興毅があそこまで立派な謝罪ができなかったとしようか。
そしたら、ボクシングで食っていけるのか。根拠はないけど、たぶん無理。
注目されなくなって、細々ボクシング続けて、引退して、ラーメン屋の主人とかやっていく可能性もあった。
何が言いたいかというと、我々は
「たかだか数十分パフォーマンスで、ヒトの人生の明暗が分かれる」という場面を目にしてしまったのではないか、ということ。
体調がもっと悪かったら、覇気がないように見えてしまったかもしれない。
前日にオヤジと喧嘩していたら、「世界一のオヤジ」という名台詞は出てこなかったかもしれない。
記者があんなに詰問しなければ、あそこまで世間は好感しなかったかもしれない。
無数の「かもしれない」を通過して、今の世論が形成されたわけだ。
結果として興毅の人生の明暗が決まったわけだ。
怖くね?
なにも対マスコミ、対世間じゃなくてもこういう場面ってあるんだろうな。
人目に晒されないから意識されないだけで、そういう場面ってたくさんあるに違いない。
その大事な「一瞬のパフォーマンス」がどこで求められているのか、見極めることが重要なんだろうな。
そういうことができる人間が、成功するんだろうな。
なんにせよ、今回の興毅のパフォーマンスは素晴らしい成果を残した。
おれも頑張ろうっと。