想像してみて不可能そうだと、挑戦しないで惰性でまたいつもどおり。
予想とか想像なんてしないほうがいいのかもしれない。
いい想像だと外れたとき余計に落ち込む。
悪い想像だと行動できなくなる。
では想像しないとどうなるか。
感情と空気に身を任せることになる。
そういえば、文章を書くという行為はそれ自体が想像だ。
事実のみを書く場合は除く。
・・・事実のみを書く場合を除かなくてはならないのなら、想像のない執筆行為が存在するということになる。
だが、事実とは何か。
実際にあった事象のことであるならば、その書き方にもいろいろある。
百の語彙と百の視点によって、一つの事実は多くの面を見せることになる。
それぞれの面が読み手に違った印象を与えるならば、事実などというものはなく、ただただ印象のみがあるのではないか。
そして印象が人間の想像により生まれるのであれば、事実というものを記述するときにはすでに想像が行われていることになる。
人間が人間らしく生きるときには、必ずや想像が隣り合っているといえるだろう。
よって、想像をせずに生きることを選択する場合には、ただ寝る・食う・やるで動くことになる。
何がいいたいのかわからない。