基本的に同意して欲しいからだ。
しかしそれは、適当に「そうだねはいはい」と言われたいわけでも本当は反対だけど同意(まあこんなの見抜けなきゃ同じことだが)してほしいとかそういうわけでなく。
意見を言う動機ってのは、「誰かが俺の意見を『ああ、確かにそうかも』と言ってくれないかな」という期待が元なんだって事。
本当は反論なんて望んでる人間はいない。学者にならいるかもしれないけど。
相手の意見が聞きたいとかいっても、基本的に同意を望んでる。相手が同意するのを聞きたいってのとほぼ同じ。相手の意見が聞きたいとかいっても相手が反論してきたりけちつけたりしてきたらほとんどの人間がむっとする。なぜならそれらの反論は、大抵その人間にとって「的外れ」であるからだ。「反論なんてするな!」というより「あーあ分かってないこいつ」としか感じられない。本当にそうなのか、そうじゃないのかは、分からない。しかしほとんどの場合人間は相手の反論をそもそも納得しない。わかってないとしか感じられない。だから反論なんて聞きたくない。大抵の反論は、よくある使い古されたもので、斬新な視点などどこにもない。
ごく稀に納得できうる反論が出てくることもありその場合は別だが、それは本当にごく稀だ。
どれだけデータがそろい、論理的に正しくても、実感や感覚レベルで腑に落ちなければ「納得」することはない。それが人間。「正しいんだろうけど、なんか違わねーか?」そんな感覚。そしてそれは正しい場合もある。感覚は意外と役に立つ。
そうかな。自分は反論を期待するからネットを選ぶ。 ネットでは同意や賛成はスルーで、反論のあるときだけ書くというのはみんな承知してるだろう?自分自身の行動と照らし合わせて...
前提が同じ(ぽく見える)異論反論なら楽しい。 参考になるなあ、って思える。 同じものを見ていても前提が違う異論反論は、 いやそういうことじゃないんだけど、 わかってないなあ...