2007-09-27

"非凡"を愛した凡人の痛み


小さなときから変わっていた俺。

個人的には大した違いではないと思っているが、小学校くらいまではアニメ漫画ゲーム、といったものに殆ど触れなかった。

当然学校ではそういう話で大きく盛り上がることはない。

"知らない"という特異性を売りにして話に加わるくらいなものだった。

多少引け目はあったが、自分の興味はそういった皆が皆経験していると考えられている"普通"なコトではなく、

別の"コト"に向いていた。

それとはまた別に、自分は自分が特別に頭が良いとか優れた才能、天性のものを持っている、

なーんて全く思わずに、所詮俺は凡人と考えていたマセたガキだった。

望む将来をある程度実現させるには、狭く深い人間になろうと思った。

自分に"普通"がないならそれで良い。どこまでも変人であろうと思った。

"普通"を身に着けることは、変人であるためには足かせになるだけ。

なるたけ"普通"は切り捨てた。

俺のライバルは同級生ではなかった。

学校で一番。いや市内で一番。いやいや、日本で一番を・・・。

ここは幼い俺の身の程知らずなところであるが、

しかしその結果、どこまでやっても「まだまだ上はもっと凄いところにあるはずだ。まだ上がある。」

そう思うようになった。

そう思ってやった結果、凡人の俺としては驚くべきところまで来れた。

俺はそんな俺がちょっと好きだ。

"普通"を捨てるという選択は悪くなかったと思う。

でなければ今の俺はない。

でも

でもときどき俺は自分が嫌になる。

社会で生きていればどうしても"普通"に囲まれる。

"普通"であることを強要される。

でも変人の俺には"普通"はもう遠い。

所詮凡人の俺には"普通"をこなすことが出来ない。

そうして俺は傷つく。

でもその傷くらい変人になる過程で何度も味わってきた。

俺が傷つくことくらいどうってことはない。

でも

でもそのせいで大切な人たちが苦労したり、傷ついたりする様を見るのは耐え難い。

俺なんか消えちゃえば良いのに。

俺は何してるの?

俺が切り捨てたものって?

俺が得たものって?

大切な人を大切にすることすらできない俺は、何を得たんだろう。

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