コミュニケーション能力とか、プレゼン力とか、段取りが上手いとか、英語ができるとか、数学ができるとか、これらは皆、何かができるといいう意味で「能力」と言える(としよう)。
能力がある人は(たまに、ない人も)フフンと得意顔で
「○○はできた方がいいよぉ??。最近は○○力が重要だって言うしねぇ。」
と言ったりする。たまにさらに無邪気なことに
「こうこう、こうすると○○は上手く行くんだよ。これをこうやってね。ああやるの。でも、もちろん頑張らなきゃダメだよ。そう簡単には○○力は持てない。」
と素敵な感じで教えてあげたりする。
こういう話を聞いた後、素直な人であれば、
「おおっ、確かに○○力は重要だな!気をつけよう。」
「んで、これをこうやれば○○力が得られるのか。わー、わかったよ。ありがとう。」
となるのかもしれない。
どんな類の能力であれ、それがあるというのは良いことだ。何かができるというのは幸せなことだ。今まで作れなかったものを作れるようになったり、対応できなかった状況に対応できるようになったり、分からなかったことが分かるようになる。
だから、もちろん能力がある状態の楽しさとか幸福を知っていれば、他人にもそれを味わって欲しいと思う場合も出てくるだろう。その思いが上で書いたようなセリフにつながるのかもしれない(単純に自慢したいだけの場合もありましょうが)。
でも、なんか違和感があるんだ。その能力は他人にそんなに無邪気に、安易にお勧めできるものなんだろうかって。
その能力の獲得に懸けた自分の過去の努力、獲得の過程にあった協力やら才能やら。それらのあり方はある程度、自分に固有のものであって他人に共有されるとは限らないと思う。
だから本当は、もし本当の本気でその能力が大事だと思っているなら、相手と自分との間のいろいろな状況の違いまで考えてあげないとダメなのかもなぁ。