2007-08-06

なぜか文章が書けない。

いや、理由はわかっている。書いてないからだ。

書いてないから書けない。書かないと書けない。

問題は時間だ。それと心の余裕。それと、意欲。

文章が書きたくない。

文章が書きたいようになりたい。

文章が書きたくなる精神状態のままで常にいたい。

それに必要なもの。考えるということ。

それに視ること。

思考、ものを見る、感じる、認識する、それらが大事。

でもそれらは出来ない。あまりに忙しい。

仕事のせいなのだろうか?本当に?

休日というものは皆無。いや、ある。

たまに休める。

でも、寝て過ごす。

たいてい、昼前に終わるからだ。前日から。

そこから睡眠をとる。数時間。

起きれば、夜。

今日はのんびりした1日だった。

それが休日

次の日は仕事

今日は次の日のために。

次の日は、またその次の日のために。

その次の日は、またそのさらに次の日のために。

気付けば、季節が何十回も過ぎ、服は似合わなくなり、

加齢臭がするようになった。

ただ年をとるだけ。

複数の集団に属したが、分かったのは、どこでも一人分のお誕生日席が設けられているということ。

人ではなく、サッカーボールとして集団に飼われている存在があるということ。

それは組織にとって不可欠で、その人が辞めたり死んだりすると、誰か他が成り代わるということ。

圧力でもあり、また自発的でもある。

ときたま、全ての人間が誰もみな、人殺し基地外に見える。

心の中に蔑むべき奴隷を飼っていて、気に入らないことがあると、それを切り刻んで気を済ます。

傷を負った人間から、弱音を引き出す手段を心得ている。

前向きに、効率的に生きるという行為で、他の人間から機会を奪っていく。

誰かが許せないという気がする。

何かが憎い、という気がする。

考えるということ、考える時間を持つこと自体が非効率的。そういう認識

仕事をするというのは、つくづく信仰なんだろうと思う。

どこにいる誰しも、みな何らかの教団に属している。

何がしかの教義に従って、生きる証を立てている。

世の中というのは、やっぱりみな一様に見える。

みんな昆虫的に生きているようにしか見えない。

人の顔が見れない。まじまじと見ていると、こいつはいったい何を考えて、このように声を出しているのだろう、分からなくなる。

急に恐ろしくなる。

自分はいま、なにか危険な場所に陥っていることは分かる。

社会的にも、精神的にも。肉体だけは狂ったように丈夫だ。

見る夢は殆ど、幼少時の風景になっている。

あたらしいものや、街や、人の夢を見なくなっている。

考えながら生きるようになれればと思う。

ちゃんと考えて、言葉を発したり、生きたりできればと思う。

会話をしていると、自分の中を何もかも言ってしまい、引きずり出されているような気になる。

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