なぜか文章が書けない。
いや、理由はわかっている。書いてないからだ。
書いてないから書けない。書かないと書けない。
問題は時間だ。それと心の余裕。それと、意欲。
文章が書きたくない。
文章が書きたいようになりたい。
文章が書きたくなる精神状態のままで常にいたい。
それに必要なもの。考えるということ。
それに視ること。
でもそれらは出来ない。あまりに忙しい。
仕事のせいなのだろうか?本当に?
休日というものは皆無。いや、ある。
たまに休める。
でも、寝て過ごす。
たいてい、昼前に終わるからだ。前日から。
そこから睡眠をとる。数時間。
起きれば、夜。
今日はのんびりした1日だった。
それが休日。
次の日は仕事。
今日は次の日のために。
次の日は、またその次の日のために。
その次の日は、またそのさらに次の日のために。
気付けば、季節が何十回も過ぎ、服は似合わなくなり、
加齢臭がするようになった。
ただ年をとるだけ。
複数の集団に属したが、分かったのは、どこでも一人分のお誕生日席が設けられているということ。
人ではなく、サッカーボールとして集団に飼われている存在があるということ。
それは組織にとって不可欠で、その人が辞めたり死んだりすると、誰か他が成り代わるということ。
圧力でもあり、また自発的でもある。
心の中に蔑むべき奴隷を飼っていて、気に入らないことがあると、それを切り刻んで気を済ます。
傷を負った人間から、弱音を引き出す手段を心得ている。
前向きに、効率的に生きるという行為で、他の人間から機会を奪っていく。
誰かが許せないという気がする。
何かが憎い、という気がする。
考えるということ、考える時間を持つこと自体が非効率的。そういう認識。
どこにいる誰しも、みな何らかの教団に属している。
何がしかの教義に従って、生きる証を立てている。
世の中というのは、やっぱりみな一様に見える。
みんな昆虫的に生きているようにしか見えない。
人の顔が見れない。まじまじと見ていると、こいつはいったい何を考えて、このように声を出しているのだろう、分からなくなる。
急に恐ろしくなる。
自分はいま、なにか危険な場所に陥っていることは分かる。
見る夢は殆ど、幼少時の風景になっている。
あたらしいものや、街や、人の夢を見なくなっている。
考えながら生きるようになれればと思う。
ちゃんと考えて、言葉を発したり、生きたりできればと思う。
会話をしていると、自分の中を何もかも言ってしまい、引きずり出されているような気になる。