おはようございます。とか、今日一日はどういう日でしたか?とか、たまにはにこやかな会話(これは他に委譲できるか)とか。
大事かもなって思った。
なる気はさらさらないけど。体育がある日は憂鬱だったなとか、腹痛かった日は最低だったなとか。いろんなこと考えた。
やつら、というか、やつらが慣れている日常はカオティックだから、朝とか昼、学校終わりの挨拶をしっかり先生である自分からするってのはありかなとか思った。
クラス全員を上手に教えていく事とか、相当難しいなって思った。
だから、クラスのやつらをせめてまともな奴等にしてやるためには、小手先じゃなくて、俺が責任ある大人として壇上に立っていることが一番重要なのかなとか思った。
でも、いい大人として彼等の前に立派に立つことが出来るほど、成熟した先生は多くない。俺もそうではない。だが、彼等を出来る事なら彼等なりに大人にさせてやりたい。とか色々な葛藤・問題が出てくる。
困ったものだ。
先生って職業はやりがいを感じそうだなと思うと同時に、やりがいを感じたり、気負う時点で負けなのかななんて何度も思う。
それと、自分が教えるのではなく、彼等を教えるのを手助けするぐらいの立ち位置がいいのだろうかなんて考えた。
なんていうか、色々大変だな先生ってやつは。
俺もきっと思考停止して、そこからは停止したままゴリ押しで先生続けそうだから、先生にはなるまいと思った。
大学の先生みたいに講義を教えるだけでいい存在なら、なりたいかな。(そもそも教授は研究職か)小中高で触れる先生という存在は職業としてとても異質な存在だと思ってしまった。
それと、いくら子供とはいえ、(むしろ子供だからこそ)、20人後半??40人弱まで?を一人で扱うなんて至難の業だし。普通の職業じゃありえない。
先生って凄すぎ。
部下を受け持ったり。
安倍晋三ひとりの家庭教師を続けた方がよっぽどいいや。気が楽だ。
なんだかんだ言って小中高の先生が思春期の彼等に与える影響は大きいわけだし、彼等が社会で遭遇するはじめての正常な他者ともいえる先生になる気がしない。
先生ってやつは異質すぎる。