2007-07-02

生きる理由なんてない、当然でしょ

http://anond.hatelabo.jp/20070702180144

全ての人間には、全く同様に、生きている価値なんか存在しない。当然でしょ。それは1人1人の個人に限らず、全員が均等に価値がない。

だが、それに気付いてしまうと、人間精神はとてつもなく動揺し、混乱し、錯乱するので、全ての人がそこから目を背け、自分に自分は価値のある人間だと言い聞かせるのに必死になっている。ある人(主に男)は仕事で与えられた役割(本来はいなくなったって誰かが代わりをするし、言ってしまえばその会社自体が消滅したところで、地球の大勢に影響は皆無なのだが)に自分の価値を見出し、ある人(主に女)は家庭や子供を支えるという役割に自分の価値を見出し、そこに依存することで辛うじて自分の価値を自分に納得させることが出来ている。リストラ(不要とされて自分の価値が根底から覆される)されて自殺する男や、子供の1人立ちに伴って空の巣症候群に陥る女は、まさに自分のアイデンティティの危機に陥っているのに相違ない。だが、自分の価値を見出せた人間はまだ幸せだ。本来は価値のないものなので、自分の生きる価値を世の中に見出すのはそう簡単なことではないからだ。

そんな中で、1つだけ手っ取り早く自分の価値を感じる方法がある。それは恋愛だ。特定の異性が、自分だけを唯一として好きだと言ってくれている、その事実だけで、自分はこの世にいてもいいのだと許されたような安心感を得ることが出来る。だからインテリジェンスが低く、ロクな学校にも行けないような中高生は、恋愛依存症とでも言うべきほどに、ひたすら恋愛だけ、そしてそれを支える為の外見を飾ることにだけ、取り憑かれたように専念する。学業などでは褒められることも無く、否定されることばかりで揺らぎ続けた自我を、辛うじて取り戻せる場だからだ。

近年の少子化結婚年齢の晩化は、女性社会進出に伴って、女性が家庭以外の場に自分の存在理由を見つけてしまった為に、男に依存しなくなったのが主因とも言える。逆に、自分の存在理由である職場を去るというのは、自分のアイデンティティが揺らぐ行為に当たるので、簡単に出来るものではない。それ以上の価値を結婚に見出さない限りは。ちなみに上記の事実から敢えて安易な推論を立てると、能力があり、優れている遺伝子を持っている人間はむしろ家庭をもって子供を残さず、能力も無く、社会的に存在が否定され続けているような劣った遺伝子を持っている人間依存する形で子供を残すことになり、人間社会としてはどんどん無能で価値のない遺伝子の割合ばかりが増加することになる。それが今の日本や先進諸国の破綻を招いているのかもしれない。バカばかりの社会になったせいで。

というわけで、皆、価値なんか無いし、生きてる理由なんて無い。そんな当たり前のことを偉そうに言って「死んだらどう?」って言ったって、「何を今更、鬼の首をとったかのように。今頃になってようやく気付いたのか、無能が。」としか思わん。

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