2007-06-20

残骸の脇に座り込んでいた彼を見てとっさに思ったのは原爆資料館の展示

なぜ人は惨事を目の前にしてケータイを向けるのか。

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簡単なことだ。

「おまじない」だよ。

霊柩車を見たら親指を隠すのと似た類の。

雷を見たら「桑原桑原」と言うのと同じさ。

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カメラはいつだって呪的な器械だ。

対象をシミュラクルに貶め、安心して愛でるための。

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だから、カメラを捧げもつ人々の姿を、祈りに比する通念はあながち間違ってないのかもしれない。

畏怖と無常を引き受けるには、ぼくらの精神は小さすぎるのかも。

(おれは「それは全く違うものだ」と宗教者に叱ってほしい、とまだ思ってる)

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今日がぼくの大震災。ぼくの戦争だったのかも。

(これも経験者に笑い飛ばしてほしい、とか思ってるんだけど)

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彼はまだ生きているらしい。

よかった。

どうか無事の回復を。

そして、RIP

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