お久しぶりです。あなたは元気ですか?
あなたと会わなくなってから、随分経ちました。まだ、あなたと過ごした日々が昨日のことのようです。私の生活にあなたがいない、ということがとても不思議です。誰の声よりもよく、あなたの声を覚えています。今でもどこかからひょっこりと、あなたが顔を出しそうな気さえします。
お変わりありませんか?まだ夢は変わっていませんか?それとも、新しい夢を見つけましたか?
どのような夢であれ、叶えてください。あなたなら、できるでしょう。
あなたは私の前では一度も弱音を吐きませんでしたね。思いを吐き出したり、受け止めてもらいたいときもあったのでしょうが、私はそのような役に立てませんでした。
今あなたには、そんな人がいますか?
私はというと、そろそろ夢を決めなければならない時期になりました。
私が将来を考えると、決まってあなたの顔が浮かびます。あなたと歩む道が違ってゆくことが未だ信じられないのです。まだ決断できずにいます。あなたのように、強くなりたいです。
私は考えないことであなたと離れるまでの8年間を生きてきました。
あなたとの関係が始まる少し前からは、感じないことも重要になりました。
あなたに聞きたいことがたくさんあります。
あなたとの関係が始まる前の5年を、あなたはほとんど知らないと思います。
でも、私がその5年で何を培ったかは、少し私と接していればわかったと思います。
だから今があるのでしょう?
それとも知っていて、失敗のないように、あなたのお兄様の居なくなる時を待っていたのでしょうか?私が(ブランコのように)空くのを待っていたのでしょうか?
誰が悪いか、ということを考えるのは実の無いことでしょうが、考えずにはいられません。
行動したのはあなたですが、それに対して行動しなかったのは、私を含めあなた以外の全員です。
あなたに非はあったのでしょうか?
確かにあなたのことを一度も理解できませんでしたが、ほぼあなたがそういう関係を作ったのです。まだ私が私すら知らなかったせいもあります。今でも理解できてはいません。
私が拒むことを知らなかった事がわかっていた、としか思えません。
そう育ってきた私もいけないのでしょうか?
いくらあなたが利口だったからといって、あの年齢のあなたに、あのようなことをされた私がどうなるかまでを想像するのは、無理だったのでしょうか?
それとも想像できても、あなたはあのようなことをしたのですか?
それとも、たまたま私があなたの求める条件に一番合っただけで、あなたにとっては誰でも良かったのでしょうか?
あなたは誰かを求めていたように、今は思えます。
もし私がいなくても、誰かがこうなるのは必然だったのですか?
それとも私がいなければ、あなたはあのような事をしなかったのですか?
それとも、あのような手段を使ってまで、そばにいる誰かが欲しかったのですか?
これが聞きたいことの最後です。
あなたが私にきっぱり会いに来なくなったのは、何故ですか?
私に飽きたのでしょうか。それとも私より良い誰かを見つけたのでしょうか。
あのことそのものに飽きたのならいいと、思います。
最後にいくつかお願いがあります。
忘れないで下さい。
思い出は変える事はできても消えはしないこと。
例えこの先、どのような道を選んでも、私たちはいつも同じ世界に生きていること。
あなたが人間として生きているように、私も人間として生きています。私は人間をやめることができません。私は思い出から逃げようとも逃げられないのです。欠落そのものも自我と成り得ます。私があなたといた頃の思い出は、私の自我を形成する大きな要因です。
あの頃の私が周囲に忘れられるということはつまり、今の私の大部分が殺されることになります。
ですから、あなたはどうか私を忘れてください。
そして、必ず幸せになってください。