醜悪でも、それが人の生きる糧。
「先人に敬意を」と言う「先人なりかけ」の人々は、
人生が「走るだけ」でも十分辛いという事を知っているから。
特別でない事と、辛くない事は同じではないから。
そして私たちも同じように、辛くても走らなくてはならないから。
故に、走り終えようとしている人間に拍手ぐらいしても損はないと、そう思うのだろう。
全ての生命は/後に続くものたちに価値を認めてもらうために/報酬もなく走り抜けるのだ(hollow ataraxia, 2005)
それはリレーのようなものである。 親から子へ、子から孫へ、先祖代々がタスキを引き継いで走っている。 「先人に敬意を」。 彼らが何をしたというのか。 走っただけだ。 そして私た...
醜悪でも、それが人の生きる糧。 「先人に敬意を」と言う「先人なりかけ」の人々は、 人生が「走るだけ」でも十分辛いという事を知っているから。 特別でない事と、辛くない事は同...