古典的日本社会では、この手の暴露はスルーされたろうに。どうせ後にわかることで、コミュニケーションの無駄な摩擦を省くことができる。所謂大人の対応。
このお祭りに関わっている人は、ただの祭り好きで大人の対応はしない。大まかに見当がついていながら、真実が知りたいとかジャーナリズムだとか大仰に騒いで真実を暴露させようとする。いやらしい2ちゃんねる型「正義感」に似た一種の昂揚感である。
しかし、特に自分の関わったことについては、周囲に大人の対応を求める。わかってくれって。空気読んでくれって。事実なんて最後までいわなくてもわかるだろって。だってこの俺がいっているんだもんって。
最近話題の「社会正義」のほころびは簡単に見つかる。ね、その昂揚感を放棄させる理由って。笑