幸せになる=良いこと、ではないし、自分が多少なりとも幸せに生きていけるのは自分の無能のおかげであると肝に銘じ、己の幸福を恥と感じ続けていたいとう意思のあらわれだな。
これ面白い。
つまりこういう事?
自分が無能であるが故に、何らかの高尚な行為が不能である。
よって、高尚な行為をするという煩雑さから自分が免れている。
そして、このことは幸せなことであり、自分は幸せであるという認識。
だが、高尚な行為を出来ないということは、恥であるという自覚はすべき。
ということ?
この論理だと高尚な行為ができずに楽してる自分は幸せってことにしかならなくない?
「楽」=「幸せ」なの?
べき論で片付けようとすると収まりがわるい。 幸福である理由が自分の無能にあるのなら、その無能に無自覚であるのは体裁が悪い。 己の幸福の代価に何を支払っているのか自覚してい...