2009-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20090311133002

はいはい。父母両方とも1歳児を預けてどこかにいた「可能性」はありますね。その妥当性蓋然性責任観はともかくとして。で、それを想像したら何が変わるのか。「親」あらため注意監督義務のある「周囲の大人」が馬鹿だということで何か問題が?

で、

蒟蒻畑もその場に居た三人以外の人間冷凍庫に入れていたものである可能性も十分あるよね。

「凍ったゼリーのような何か」を与える時点でおかしいという話を別枝でしてるので却下。「誰が入れたのか分からない何か」を与える際に固さすら確認しないならその時点でダメでしょう。

肝心の「これはゼリーではなくこんにゃくである」と言う事は書いてないような。

まあ大きく書かれた「蒟蒻」が読めないことを責めようとは思いませんが、「飲むな」「よくかめ」という注意書きは主にひらがなですよ。それを注意しない人が「こんにゃくです」の一言で注意したと主張したいわけですか。これ以上の義務をメーカーに負わせるのはどう考えてもアンフェアだと思いますが。

要するにこれは単に、世の中にしばしばある「不幸な事故」であるに過ぎない。親が責められすぎるのがかわいそうであると同時に、製造会社が責められるのもおかしい。それだけの話です。なのに親が製造会社を訴えるから「馬鹿だ」といわれるんですよ。少しは頭を冷やせって話です。

  • 父母両方とも1歳児を預けてどこかにいた「可能性」はありますね。その妥当性蓋然性や責任観はともかくとして。 両親が1歳児を祖父母の家に預けてどこかにいた事が「妥当性蓋然性...

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