はいはい。父母両方とも1歳児を預けてどこかにいた「可能性」はありますね。その妥当性蓋然性や責任観はともかくとして。で、それを想像したら何が変わるのか。「親」あらため注意監督義務のある「周囲の大人」が馬鹿だということで何か問題が?
で、
「凍ったゼリーのような何か」を与える時点でおかしいという話を別枝でしてるので却下。「誰が入れたのか分からない何か」を与える際に固さすら確認しないならその時点でダメでしょう。
まあ大きく書かれた「蒟蒻」が読めないことを責めようとは思いませんが、「飲むな」「よくかめ」という注意書きは主にひらがなですよ。それを注意しない人が「こんにゃくです」の一言で注意したと主張したいわけですか。これ以上の義務をメーカーに負わせるのはどう考えてもアンフェアだと思いますが。
要するにこれは単に、世の中にしばしばある「不幸な事故」であるに過ぎない。親が責められすぎるのがかわいそうであると同時に、製造会社が責められるのもおかしい。それだけの話です。なのに親が製造会社を訴えるから「馬鹿だ」といわれるんですよ。少しは頭を冷やせって話です。
父母両方とも1歳児を預けてどこかにいた「可能性」はありますね。その妥当性蓋然性や責任観はともかくとして。 両親が1歳児を祖父母の家に預けてどこかにいた事が「妥当性蓋然性...