思考を停止せず、常に最適解を探す行為を「疑う」ことだとする。
どのような行いにせよ、「常に」という条件が付くと、とてもハードルが高くなる。
新しい視点、価値観は、何かを疑い抜いた末に訪れるものだ。
人の言葉を疑え。社会制度を疑え。科学の理論を疑え。
自分に対して、ただの一時も「信じる」という甘えを許さなかったその時に、安易な疑いなど寄せ付けない何かに気が付くのだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 06:03
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……というようなことをデカルトは考えた、と一般に理解されていると思うのだけれども、「方法序説」を紐解くと、実はデカルトは最初に以下のような内容のことを書いているのだった...
http://anond.hatelabo.jp/20070320063045 デカルトって優越感ゲームっぽくてヤナ奴だなとしか
デカルトさんは正しいと思うよ。 だいいち、当時だと、疑いすぎて宗教を疑ったら即アウト。デカルトさんのちょっと後の人だとクールバッハさんが獄死してるし、現代でさえ魔女とし...