はてなキーワード: 過失責任とは
といったら、これは間違いなく知らないことの方がたくさんあるわけで、「知っている事>知らない事」っていうのは物理的に不可能だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090517122446
思うに『無知は罪か?』という問題とともに、『現代人は無知であることを許される程度に無名であり得るか?』という問題がそこにあると思う。現代社会が『無知な人間』に厳しいのは、一種のノーブレス・オブリージ(高貴なるものの責任)のようなもんだ。
「罪」というのは、いったいぜんたいなんじゃらホイ?
「許される」というのは、いったい誰に許しを請うのだろうね?
「法」というガイドラインの無いところに「罪の意識」というのは発生し得ないのであって、“そこ”にあるのは喪失感と後悔だけ。
コンセンサスと周知徹底の不十分なガイドラインなんていうのは、真っ当に機能するはずが無いものではないのかね?
“20090517112610”の増田だが、エンジニアの端くれなんぞをやっていると、調べる度・熟練する度に次から次へと、知らない事やわからない事が増えてきてorzな事はしょっちゅうだ。「達人ほど謙虚になる」ってのは、知らない事・わかっていない事が世の中にはまだまだたくさん有るってことが、明確に理解できてくるからではないのかと思っている。
かつて物作りの大先輩から、
と諭されて、それ以来座右の銘にしているけどね↑。
どれだけ手足・耳目の延長線上にあるものが発達したところで、「思っても見なかった、想像もしていなかった」出来事ってのは、常にすぐ背中合わせのところに潜んでいるものさ。だから、
誰が育ててくれるわけでもない。「取り返しの付かないヘマを重ねたら、誰かの生命・財産に損害を与える事もあるし、自分自身だって財産を失い、最悪命を落す事だってありうるんだ」という事だけ解っていればいいんじゃないのかな?
過失責任という設定は各国の法律にああるけれども、「知らなかった・理解が及んでいなかった」事そのものを咎める“法律”というのは設定しようがない。なぜなら、「あらゆる事象の道理を予め全て知っている」なんていうことが物理的に不可能だから。物理的に不可能な事に対して、責任の追及など出来るはずも無い。
「被害の発生・拡大を意図した」のなら、まさしく狙い通りだから、そこには微塵の慙愧も反省も無いだろう。
一方で、「知らないまま・正確に理解していないままで」事に及んだらまず間違いなく大失敗。人的・生命的損失が発生する事だって珍しくはない。
どちらがより大きな喪失感と後悔を伴うのか?
そりゃぁ「知らずにやっちゃった」方でしょうよ?