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2007-02-15

冷静に考えると

http://anond.hatelabo.jp/20070215164020

披露宴マトリクスも結構ミクロな話題だと思うけどなあ。

友情という首輪の上から披露宴という首輪をかけるのはきついからやめてくれ、

という話でしょ(多分)。

それなら、友情のほうからどうにかしたほうが良くないか?

http://anond.hatelabo.jp/20070215163049

じゃああんたは結婚したとき祝儀もらっても嬉しくないんだろうなあ

俺は俺がそうなったときそうしてくれたら嬉しいから

そうしてるんだよ

コンセンサスとかどうでもいいの

祝われる相手が嫌だって言ったらしないし

あんたは自分が幸せなときに人に幸せだよって言いたくならないんだろうな

私は社会的なコンセンサスの話をしているのに、貴方は終始自分の話をしている。自分がそもそも最初のエントリの趣旨を理解できていないことを自覚すべき。その上でどうでもいいのなら絡まないで欲しい。私は披露宴マトリックスというマクロな話をしているのであって、ミクロな話はしていない。

私は結婚したときに祝儀をもらえれば嬉しい。自分が幸せな時に人に幸せだよというのは恥ずかしいのでしない。その問題と、「披露宴二次会をするのが当たり前となっている(=社会コンセンサスとなっている)」事実を問題化することは全く別の問題だ。

私に反論したいのであれば、以下の設問に答えなければならない。

立ち会わない形で祝うことを選択できないのはおかしいとは思わないのか。貴方のように祝儀をあげて時間を潰して結婚式に出て「おめでとう」という形式をなぞらなければ、本当に祝ったことにならないのか。

これ以上論点がずれそうならばもうレスポンスはしない。

http://anond.hatelabo.jp/20070215153329

その発想自体が「披露宴二次会をするのは当たり前」「披露宴二次会に来ない奴は友達ではない」というコンセンサスに基づいたものなのだが、気づいているのだろうか。

それを言い出したら世の中のあらゆる娯楽がコンセンサスに基づいたものになってしまい自主性は否定されるのだが、気づいているのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20070215152515

呼ばれたい奴もいるんですが・・・

結婚式呼ばれないってだいぶ寂しいよ?

その発想自体が「披露宴二次会をするのは当たり前」「披露宴二次会に来ない奴は友達ではない」というコンセンサスに基づいたものなのだが、気づいているのだろうか。

披露宴マトリックス

この歳(26歳)になると友人の結婚式に呼ばれることが多くなるのだが、まああれほど憂鬱なものはない。君とは友人だし、君が結婚するのは本当におめでたいことなのだけれど、一日時間を潰されて祝儀を3万円も取られた上、聞きたくもない親へのスピーチだとかどうしようもない余興とかを見せられて、へとへとになって帰宅しなければいけない。その時間と金があればどれほどのことが出来るのだろう。

こういうことを書くと、「なら行かなければいいじゃないか」と言われるかもしれないが、大人の世界はそんなに甘くはない。以前友人の二次会をやむなく欠席したことがあるのだが、その事あるごとにと「あ、○○は二次会に来なかったもんね」というようなことを何度も言われ、非常に不快な思いをした。とはいえ、面白くない思いをしているのはあちらも同じで、私が二次会を欠席したことを「この人は私の二次会に来てくれなかった」=「本当の友達ではない」という風に頭の中で変換しているのだろう。

絶望的なのは、結婚式を巡る諸処が既にマトリックスのように我々の社会に根を下ろしてしまっていて、この強制システムから死ぬまで逃れられないことにある。我々は子供の頃から、「結婚したら披露宴二次会をやるのが当たり前」という価値観を、様々な情報洗脳される。漫画映画ドラマ、あるいは芸能ニュース、これらの場所では「結婚したら披露宴二次会をやるのが当たり前」という価値観が繰り返し繰り返し再生産され、実際に我々もそれらを行うことにより価値観を更に強固なものとする。「いやいや、私たちはやらなかったよ」という声をあげる人もいるだろうが、そういう声があがること自体、「披露宴二次会をやるのが当たり前」という社会的なコンセンサスがあることに裏づいたものだ。

そしてもうひとつの価値観披露宴二次会に誘っても来ない人は友達じゃない」というものが、このマトリックスを強化している。これは裏を返せば「私のために一日の時間を潰し、祝儀を払って祝ってくれる人こそが本当の友達」ということだ。つまりあれらは踏み絵のようなもので、行きたくない人であっても隠れキリシタン呼ばわりされて投獄されたくないので行かざるを得ないのだ。この恐ろしいシステムのおかげで、どれほどの無駄な時間と無駄な金が費やされたのか、想像するだに恐ろしい。

もう一度考えてみよう。結婚などというごく個人的な出来事を、友人皆が祝うべきなのか。幸せな我々を祝福するために、総員集合ーーー! などと号令をかけることが浅ましいことではないのか。披露宴とは何万円もの対価を払ってまで見るほどのものなのか、一日の時間を潰してまで行くほどの価値があるのか。友人関係は「私のためにこれだけ無駄なことをしてくれる」というような、踏み絵によって計られるものなのか。「結婚式」を欠席すると非人非扱いされるが、例えば「誕生会」を誰かがやったとして、それを欠席しても大丈夫そうなのはなぜなのか。結婚式を巡る諸々の事情は、誰かが世の中に作り上げた壮大なるマトリックスである。君たちは全員洗脳されている! 誰か、ネオ、このマトリックスを破るんだ!

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