はてなキーワード: 佐藤紅緑とは
http://anond.hatelabo.jp/20070604013130
そもそも、なぜ英語を学ぶのかから話を始めたい。
英語の先生に通称カトレットという三十歳ぐらいの人があった、この先生は若いに似ずいつも和服に木綿のはかまをはいている、先生の発音はおそろしく旧式なもので生徒はみんな不服であった。先生はキャット(ねこ)をカットと発音する、カツレツをカトレットと発音する。
「先生は旧式です」と生徒がいう。
「それだからきみらはいかん、語学をおさめるのは外人と話すためじゃない、外国の本を読むためだ、本を読んでかれの長所を取りもってわが薬籠におさめればいい、それだけだ、通弁になって、日光の案内をしようという下劣な根性のものは明日から学校へくるな」
(「ああ玉杯に花うけて」佐藤紅緑)
義務教育から高校教育で英語を学ぶ意味とは、簡単な英語の書物を読める事を第一目標とすべきだというのが私の持論。
ネイティブと対等に渡り合えるほど高度な「英会話」スキルを身に付けさせる事は、必ずしも必要ではないように思う。
ただ、英語を学ぶなら学ぶで、教え方はまだまだ改善の余地があるはず。
ちょうど幼児期から漢字に少し慣れさせておけば、小学校に上がった時に、より楽に漢字を覚えられるのと同じで、
幼児期や小学生の頃にアルファベットとか簡単な英単語や簡単な文章程度を教えて少し慣れさせておけば、中学に上がった時に、より楽に英語を覚えられるのでは。
私は塾で中学生を教えてた事があるが、アルファベットすら満足に書けない中学生が時々いた。そういう生徒は、これまで英語に全然触れたことがなく、中学生になって突然英語を習い始めた子が大半。