BL図書館問題において、殊更にBLとポルノとの差異を強調する事にたいして違和感がある。
何故このタイミングで(BL図書館問題と絡めて)強調するのか、その動機が不明瞭であり、BL図書館問題と絡めている事で余計に疑惑の念を抱く。
何故強調するのか、その動機を考えるとどうしても以下のような思惑があるのではないか?と邪推せずにはいられない。
兎に角ポルノとBLは違うという事ににしたい。ポルノとBLが違うという事になれば、ポルノとBLの扱いが区別されるはずである。
それは男と女は違うのでトイレは男用女用と区別されるように、そして「その区別は優劣とは違うでしょ」という理屈をもって正当性を主張する。
違う物を同じ基準で扱うのは誤りだから、ポルノと同じ基準(ゾーニング等の理由)で、BLを扱うべきではない。
よってもしゾーニングなどの理由でポルノが図書館において規制されようとも、BLとは関係ない。だってBLはポルノとは違うのだから。
ポルノには常に表現規制(ゾーニング等)が付いて回る。そしてその規制がBLに降りかからないように、必死にBLとポルノとの差異を強調している。つまりポルノについて回る規制から免れるために、BLとポルノの差異を強調しているのではないか?
動機がそのような物であるならば、このタイミングで殊更に差異を強調することにも合点がいくのだが。