展覧会の絵のプロムナードが結構好きだ。絶対音感に自信はないけど、この曲の一発目のGの音だけは割と正確に記憶している。
他の楽章はそこまででもない。絵画をモチーフにしたこの作品だけど、合間合間に入るプロムナードは絵ではなくツカツカと歩く鑑賞者が題材らしい。
おれは美術館や博物館の雰囲気が好きだ。
展示物そのものというよりも、キューブリック映画みたいな非日常的な空間が好きだ。原体験はどうぶつの森の博物館にある気がする。
博物館にはこちらを見るや駆け寄ってくる村民もいないし、魚影に気を配り気忙しく追いかける事もない。
BGMの抑えられた静かな空間でジョリジョリの名画を眺めて、併設のカフェでコーヒーを飲むのが子供ながらになんかオシャレな事をしている……と思った。
展示物の内容で言えば科博でも行ったほうが楽しめる気がする。でも落ち着かない人混みの中で周りに気を配りつつ解説を読み上げるよりも、東博のアジア館とか平成館の静けさで過ごす方が好きだ。来場者を楽しませようという気概を感じる工夫に満ちたレイアウトよりも、こちらの教養に委ねようと言わんばかりの淡白な解説に留まる方が目に静かで好きだ。客が少ない分、学芸員だか監視員だかの視線がややうるさいのがちょっと気になるけど。
大学の一般教養で聞いたことを思い出したり出さなかったりしながら展示物をジロジロ眺める。至高のお宝と聞いた汝窯の焼き物を見て何がええんやと思ったり、IKEAのガラスコップよりは味があるかもしれんな、でもライトに照らされず丁重に飾られてもいなかったらどうだろうな、とか思ったりする。
そんな経験を重ねていく内に美術に目覚めたりする人もいるらしいけれど、おれにそんな様子は特にない。
やっぱりモノと対面してる時よりも、次はどれを眺めようかとプラプラ歩き回るってる時間が一番好きだ。
そんなおれが絵画作品そのものをテーマにした楽曲よりもプロムナードに惹かれるのってなんか面白いなって思う。
まあ単に一番耳に馴染みのある楽章だとか、おれがトランペットやってたからだとか、そういう事もあるのかもしれない。
それでもなんか音楽のメッセージ性的な力を感じずにはいられない。漠然としたムードではなく結構具体的な概念を文字や画像ではなく音で表現するという事について割と懐疑的な方だけれど、ちょっとだけ信じられる気がする。
展覧会の絵はゲームブックやぞ。
ELPのしかわからん
それで合ってる。
言葉は表現を固定してしまう不自由なものだと考えるようになった。 増田の言っていることはよくわかる。