ツイッタラーは繋がりとかなんとか言いながら実際には誰とも繋がりたがってないし、元増田の言う欲求であろうが増田の欲求であろうが、いずれにせよ他人の方向を見つめようとはしない。
共通項として、自分が損しないなら行動する、というパターンが有る。
例えばフォローが返されるならフォローすると言った具合だ。
この場合無私のフォローのうち、有名人をフォローする、という行為が除外されるが、実際のところ有名人フォローとは絶対に自分と交わることのない素晴らしい人達であり、「素晴らしい」という部分では一方的に自分が得し、「関わりがない」と言う部分において無視されても傷つかないという心理が発生する。
仮に勝手に裏切られたと思い冷めてしまえば外せばよいわけだ。
その心理は極めて消費行動的でエゴイックでしかない。
内的にどのような心理であれ、さらなる通底する部位として、自分のことしか考えてない、というワードが自然と出てくる。
もっとツイッターとは、自分のことしか考えてない者達が集まってマスを形成するとこうなる、という見本でしかなく、そこに集まろうとした温かい人達をも砂漠化して、常に飢餓感を抱えるゾンビに仕立て上げてしまう。
いいねがストックできる構造も拍車をかける。
いいねが他人から可視化出来るために、皆いいねに警戒感を抱いて自分たちのクラスタか尊敬してる人、見返りがあるものにしか押さなくなる。一度こうなると価値が転倒することがない限りいいねを渋る文化が形成される。
この弊害はかなり強く、下らないインフルエンサーを生む反面、ためになる(あるいは技巧に優れた)非有名人を数多く生み出してしまう。
はてなスターなどは元からつながりを意識した構造ではなく、スター履歴も参照するのに数クリック必要などかなりめんどくさい。スターは押し捨てするという文化面の違いもかなり大きい。要するにスターしぶりがあまりない。いいねが持ち物化、コレクション化されたツイッターとの違いはここにある。いいねよりブックマークが使いにくい点も悪い。これもわざとではないか。
リツートに関する意識も、好きな人を草んする手段ではなく、自分を周知するためであったり、認めてもらうための卑屈なアピールにすげ変わっていてまるで健全とは言えない。本当に尊敬するからリツイートしている、広めたいからリツイートしている人のほうがおそらく少数だろう。
フォロー、リツイート、いいね、リスト殆どが自己顕示と承認を争わせる仕掛けになっており、このデザインは心理効果を計算した上でわざとやってるのではないかと勘ぐっている。資本主義から最も離れているという香水を匂わせながら、まさに資本主義の中枢であるところが味噌なのだろう。