日本には平安の昔から本歌取りというのがあってな
枕草子で今日の山の雪どうなったかしらといったら山が見えるほうの窓をあけてあげるのは中国の故事にならったもの。
みんなが知っている物語を下敷きにしてアレンジし、そのマネッコをしたのだと通じることをも尊ぶ
いわばごっこあそびだ
そしてそのごっこに乗り合うことで深い学びが得られる
このときこのキャラはこうおもってたんだ!尊い!とか
ここをわざわざ書き込むのってこういう意味だったのか!改めて尊い!とか
このごっこ遊びが一緒にできる友人が同時代に生きていた!尊い
ってことだ
ただ本当に自分の才能がある(とおもっている)人はそのごっこを必要としない
自分のなかに批評家がいてその人のほうだけをむいて書いているから自分の中だけで閉じている
その閉じた表現活動も尊いといえば尊い、続けているうちにふとしたはずみで他人が勝手に「それ才能あるね、尊いじゃん」ってついてきたりする
元増田には今がそのときなんだろう
年をとるともう二度とそういう友達は現れない
そのときに閉じた創作をはじめてもおそくはないのではないか
単純に疑問なんだが、二次創作同人誌を出すことはそんなに望ましいことなのだろうか。 こういうのは個人の勝手だと思うのだが、あまりにも周りから薦められて自分の感覚が不安にな...
日本には平安の昔から本歌取りというのがあってな 枕草子で今日の山の雪どうなったかしらといったら山が見えるほうの窓をあけてあげるのは中国の故事にならったもの。 みんなが知っ...
創作物がデジタルなものではなく、紙媒体として物理的に残るところに至福を感じる人達がいるんだよ。
印刷会社が潰れず生き残っていけるメリットがあるぐらいか
わかる
同人誌出しなよの人は同人誌崇拝という宗教なので迎合する必要は全く無い あれこれ理由を並べてるが結局は「同人誌を発行する事自体が快感」ってだけだよ 理屈じゃないから