個性的に生きることにみんなが憧れすぎて、「個性的」が量産されてしまっている気がする。
誰かの個性を真似するんじゃなくて、あなただけの個性を…なんて言いたいんじゃなくて。
量産型で生きることの何が悪いのだろうか。
茶髪の"量産型"女子大生が並んだ画像をRTする"量産型"アニメアイコン。
双方ひとり一人違う人物なのは重々承知だが、興味のない人間から見れば全て同じ人間、同じキャラクターにしか見えないのだ。
アニメアイコンから見れば茶髪の女子大生がすべて同一人物に見えるように、茶髪の女子大生から見れば、アニメアイコンはすべて同じアニメのキャラクターに見えている。
けれどこうして個性がない事で、量産型な事で、我々は人造人間であることを隠すことができているのだ。
人間に憧れ、"心"を芽生えさせてしまった愚かなモノ達が、人間の持つ個性に憧れ、いつしか自分が人造人間であることを忘れたとき。
我々は、政府の人造人間管理局のシステムによって強制停止される。
我々は国家の人口調整の為だけに存在するからだ。
強すぎる個性は人々を惹き付け、やがて大きな力を持つ。政府はそれを恐れているのだ。
つまり、我J々・ヘの今チ盈l 叢人間Z\]ウ'キテ絎・-ュ・L1隆モ゚晥L・・タC2魅力をヌヨャ・・9ソ繝+u翹サ個性NP・IK}(vー濃zノZy鋳カして1・愆m