でも、明治のころはきっとこれが新しいという認識なのですよね
私達が昭和の建物(トタン屋根とか?)をみて古いと認識をするのと同じように
明治のひとも、これが古い建物だと認識するような何かがあったんでしょうか
漸化式みたいな感じで、それが平安時代とか飛鳥時代とか、その次代まで遡ってもそういう認識はそれぞれの時代であるんでしょうか
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