2016-05-25

マクロの教育投資政策とミクロの就職の自由

「京大出て専業主婦なんてもったいない」と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか - わたしのむしめがね

http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352

要するに社会の公的資産による投資(この場合税金の大学への投入)が社会に還元されてないのがもったいないのではないか? って話なんだが、そりゃ、マクロでいえば、「GDPを増加させる女性労力の育成に失敗した」んだから「もったいない」よ。でも、ミクロでいえば記事の人は、自分の人生を自分で自由に選ぶ自由があり、専業主婦をするのは当然の権利だ。記事の方は、まったく悪くない。

よって、この記事の方が今後すべき義務はひとつだけだ。

それは、「自分が払った税金が大学に突っ込まれて、しかもその卒業生が主婦になっても文句を言わないこと」だ。マクロの政策とミクロの現実にはいつだってずれがあって、そこには無駄が生じる。当たり前の話だし、自分自身で実感していると思う。女性労働者を増やそうと計画しても全員がそうなるわけじゃない。自分自身がそうだったんだから、記事のご本人も理解し実践しておられる(そんなバカげた文句を他人に入ってない)ことと思う。

しかし、このひとつは無数の変形応用パターンがある。

その変形パターンのひとつが「自分が払った税金が大学に突っ込まれて、しかもその卒業生が適切な知能や常識を身につけなくても文句を言わないこと」だ。これもまた「教育投資の社会還元にミスが生じた形」なわけだ。そしてこの「適切な知能や常識を身につけないこと」にもいくつもの形態があり、そのひとつを具体的に解説すると、「教育政策というマクロの政策と個人の人生というミクロの人生の区別がつかないバカが生まれること、そしてそれらが社会で発言すること」なんだ。

露悪的に言うのならば「自分の人生選択で主婦を選ぶ」ってのと「大学出てるのにマクロとミクロの区別がつかずに頓珍漢なことを言う」っていうのは「教育投資の社会還元に無駄が生じた」っていう一点で、似たようなものなんだよ。

つまり、記事の女性は、その馬鹿げた批判に付き合わざるを得ない。仕方ないね、すべての人間が計画通りには動かないんだから。

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