2015-07-12

平成元年の夏、僕は6歳の小学1年生でした。

平成元年の夏、僕は6歳の小学1年生でした。

毎朝、迎えに来てくれる隣のお姉ちゃんと一緒に、まだ真新しい黒いランドセルを背負って

元気に学校に通い、既にクラスの中で仲良しの子が何人もいました。当時は

「ドラえもん のび太の日本誕生」が公開された年です。僕もこの映画に大変感動しました。

その映画の中で、ドラゴンが誕生するというシーンがあります。

これはのび太くんがドラえもんのひみつ道具を使って、既成動物の遺伝子を組み合わせて

作った、ペガサス、グリフォン、ドラゴンといった架空の生き物が卵から孵るというシーンです。

僕はこのシーンに大変感動し、家に帰ってから何日もの間、心の中のモヤモヤがなかなか

消えませんでした。小さな子供だった僕にはそれが不快と感じられず、ただ

呆けていただけだったと思います。

そんなある日、クラスの誰かがその映画の話を始めたのです。

僕は目を輝かせて話に加わりました。ドラえもんより未来からきた時空犯罪者ギガゾンビの話、

しずかちゃんの水浴びシーン‥‥‥、そして僕が最も気になっていた、ドラゴンが誕生する

シーンの話になりました。僕は無性に何か言いたくなって、

「たまごかかえるところがいいよね!」「やっぱりドラゴンだよね!」

と、みんなの話を無視して興奮を吐き続けました。

その話の中で、突然、ある友達が

「ぼく、ドラゴンみたことあるよ」

と言ったのです。

「うそだぁー」

とみんなが騒ぐ中、僕だけは真剣に驚いていました。

そして、目には彼しか映らなくなり、耳には彼の言葉しか入らず、頭の中はドラゴン誕生の

シーンでいっぱいになりました。

僕は声を張り上げました。

「えーっ、どこでー?」

彼は少し黙った後、口を尖らせ、虚勢を張った顔で当然のことように

「ぼくがつくったんだもん」

と言いました。

(ドラゴンってつくれるんだぁー!)

無論それは嘘だったのですが、当時、時々学校に来たおばちゃんの紙芝居のように、

テレビの中やスクリーンの裏にはドラえもんが来てくれていると思っていた僕は、

『きっと彼はドラえもんが来たときにテレビを開けたんだ。そしてのび太くんのように

お願いしたんだ』と考えました。

さらに彼は

「ドラえもんにへんなのもらってさ、ぼくがつくったんだもん」

と言いました。

(やっぱりー!)

他のみんなは興味が無いような顔をしたり、疑ったり、ただ笑っていたりしていましたが、

僕に疑う余地は有りません。すぐ彼に遊ぶ約束をさせて、放課後になるやいなや自分から率先して、彼の家へ直行しました。

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彼の家に着いた途端、彼が

「あ、あのね、やっぱりきょうはおとうさんがいるからダメ。あそべない」

と言い出しました。

当時は、誰かの父親が『夕方5時を過ぎたから』と、有無を言わさず子供の友達をみんな

帰してしまったことが有り、その噂が形を変えて広まり、『父親がいる⇒遊び終了』

という図式がみんなの頭にできていたのです。

でも、僕はドラゴン見たさになかなか「じゃあまた明日ね」が言い出せません。

彼も気まずさと自分が招いたプレッシャーに耐えているようでした。

不自然なくらい長い間を置いて、それでも2人とも黙っていると、家の中から誰かの気配がしました。

彼はここぞと

「おとうさんがいるから!」

と僕の理性をまくし立てます。

僕は帰らざるを得なくなりました。

でも、彼は僕に悪いと思ったのか、

「まってて」

と言って家の中に入ると、中から『ハンカチで作ったおにぎり』を持ってきました。

彼が言うには、これがドラえもんから貰ったもので、形を崩さないよう注意しながら、

これにそっと『遺伝子』を入れ、水を掛けて置いておくとドラゴンが誕生するらしいのです。

(そういえば、映画に出てきたのに似てる!)

僕にはドラえもんに会ったと言う彼のことが、僕が知っているドラえもん以上のドラえもんに感じられました。

僕はここに来た目的をほぼ達成したので、満面の笑みで

「ありがとう!」

と言いました。彼も良い事をしたという顔をしました。

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さて、自宅に帰った僕はさっそくひみつ道具のセッティングに取り掛かりました。

作るのはもちろんドラゴンです。

『ひみつ道具』こと『ハンカチおにぎり』にドラゴンになりそうな遺伝子を入れます。

僕は家の中でドラゴンの遺伝子探索を始めました。

その結果、リビングからは、おばあちゃんが海外旅行のお土産で買ってきたお守り──タツノオトシゴのミイラ──、

玄関の水槽からは、お母さんの田舎に行ったとき採ってきた蛙の卵が見つかりました。

それと、台所の棚にあったマスカット味の飴も使うことにしました。これは袋にドラえもんの

絵が描かれていたので、重要な遺伝子です。

それらを全部、ひみつ道具の中に入れて、水で濡らしました。

あとはこれをどこで保育するかですが、以前、犬を飼いたいと駄々をこねて叱られた失敗を思い出して、

お母さんの目が届かない所にしようと考え、自分の部屋の押し入れにねじ込みました。

あと、ドラゴンと形が似ていることを知っていたので、その晩の夕食だったうなぎ(の蒲焼きのたれが付いているところ)を少し入れて、

また押し入れにねじ込んでおきました。

名前は「ドラコ」です。映画の中でのび太くんが付けたのと同じ名前です。

まだ生まれてもいないドラゴンですが、名前を付けるととても愛しくなりました。

僕が名前を呼ぶと鳴き声をあげてまとわりついてくるドラコ。想像しただけで胸が高鳴ります。

その夜はなかなか寝付けませんでした。

もしかしたら明日の朝にはもう鳴き声が聞こえてくるかも知れないのです。

それでも子供の頃は夜更かしができないので、いつの間にか眠っていました。

翌朝、僕は飛び起きて押し入れを開けてみたのですが、鳴き声は聞こえず、ただずぶぬれのハンカチがぐったりとしているだけでした。

それから数日間はひっきりなしにひみつ道具を覗いては水をあげて、「ドラコードラコー」と話し掛けていたのですが、一向に変化がありません。

ドラえもんに会った上に、もうドラゴンまで持っていると言っていた彼は、あの日以来この話題を避け続けていました。

(あっ、ひみつ道具のことは秘密にしたほうが良いんだ。こういうことは秘密にしないと悪い人達に狙われるし)

と悟って、僕もこの話題に触れなくなりました。

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自分でもドラゴンのことを忘れてしまうほど日が経った夏の終わりのある日。

僕の家に大勢の友達が来ていました。それというのも僕が新しく

ファミコンの「ガシャポン戦士2 カプセル戦記」を買って貰ったからです。

クラスでも前作の人気が高かった上に、僕が

「ガチャポン2をかったんだ」

と自分から切り出して自慢をしたので、普段は縁のない子や、男の子達の騒ぎように釣られた女の子たちまで集まっていたのです。

もちろん、ドラえもんのひみつ道具をくれた彼もいました。

「あーら、今日は賑やかね」

僕のお母さんは大勢集まった友達に驚き、喜びました。

これほど大勢の友達を家に呼ぶことなど無かったので、

「あ、ちょっとみんなに出すお菓子買ってくるから」

と小声で僕にささやいて、お母さんはコンビニまで出かけました。

ガシャポン2はそこそこ盛り上がったのですが、やはり女の子たちには退屈なようでした。

お母さんが買ってきたジュースとお菓子で少しの間だけ雰囲気は持ち直したのですが、

話が弾んでいるのは女の子の間でだけです。

当然、2つしかないコントローラの1つは僕が独占していたのですが、

男の子だけでも大勢いたため、みんなには順番が回らず、場はしらけた雰囲気になってきました。

そこで誰かが

「かくれんぼしねー?」

と言い出したのです。

僕はまだまだガシャポン2をやり足りなかったのですが、過半数がそういう雰囲気に

なってしまっては仕方がありません。当時、絶対的な説得力を持っていた『多数決』によって、

急遽、僕の家は隠れ場所になりました。

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それでもコントローラを独占していた僕を見て、ある友達が不満をぶつけるように

「コントローラをもってるひとがおにー!」

と言いました。それにみんなも同調してしまい、僕は始めの鬼をさせられました。

家の中だけでは狭いということで、庭に出ても良いというルールでかくれんぼが始まりました。

そのとき友達は10人を超えるほどいましたが、ここは僕の家です。

10数えた後、僕は次々に友達を見つけていきました。

友達をあらかた見つけたころ、すぐ近くから、ある女の子の悲鳴が聞こえたように思いました。

僕は刑事ドラマの逃げた人質を探す悪役になった気分で、にやりと笑ったのですが、

悲鳴が突然大きくなったのに驚いて、慌てふためきました。

悲鳴が聞こえてくるのは僕の部屋の押し入れからでした。

そう、あのドラゴンを育てていた押し入れです。

もっとも、僕がそのことを思い出したのはずっとずっと後になってからですが──。

慌てながら押し入れを開けると、知っているはずなのに誰なのか分からないくらいの形相で、女の子が絶叫していました。

でも、それよりも驚いたのは、薄暗い押し入れの隅からなにやら細かくて訳の分からない影が無数に這い出てきたことです。

そのときは気が動転していたせいで良く分からなかったのですが、母親が父親にしていた話によると、

それはクモだったそうです。メカニズムはいまだによく分かりませんが、ひみつ道具の

中に入れたタツノオトシゴや蛙やうなぎの遺伝子が融合して、なぜか無数のクモが誕生したようです。

悪いことは重なるもので、女の子は僕の押し入れを隠れ場所にしたのです。

僕が見つけたときは想像できないような顔で絶叫していましたが、その子は普段は騒ぐことと無縁の女の子でした。

好きな科目は国語で、図書室で読書する時間が一番好きだというその子は、

小学一年生ながら「灯台下暗し」という言葉を知っていたので、

鬼が10数えていた部屋に戻ってきて、押し入れに入ったのでした。

そして、もっと奥に隠れようとして布団をめくったところ、押し入れの隅から無数の黒い影が一斉に這い出て来たらしいのです。

そしてドラゴンになるはずだったそれ(ら)は、僕のドラコとは全く違う姿で、

皮肉にも誕生を心待ちにしていた僕より先に、彼女と感激の対面をしたのです。

理由を知っていようがいまいが、この絶叫を下にいるお母さんに聞かれてはマズいと思った僕は、

まず女の子の悲鳴を何とかしようとして、

「あ、これ、まっくろくろすけだよ!まっくろくろすけ!」

とフォローしようとしましたが、この状況下ではうまく声が出ません。

クモは慌てふためき、全速力で押し入れの中を這い回っています。

声が出ない自分と、お母さんが気付くかも知れないというプレッシャーと、

全身をクモにとり憑かれて、わめき続ける女の子に業を煮やした僕は‥‥‥‥‥‥‥‥‥

押し入れを閉めました。

中から何も出てこられないように、ぴったりと閉めました。

そして

「えーと、みんなをさがさなくっちゃ」

と心の中でつぶやいて、玄関を通り、誰も隠れていないであろう庭の外へ、

静かに、そして可能な限り急いで飛び出しました。

「ぼくはおにだから、みんなみつけないと」

と何度も自分に言い聞かせながら、誰も知らない場所を目指してひたひたと駆けて行きました。

不思議と力が湧いてきて、どこまでもどこまでも行ける気がしましたが、どこまで行けたのかは

僕の記憶には残っていません。次の日、僕はいつも通り元気に、いつも通り隣ん家のお姉ちゃんと、

いつも通りの通学路を通って学校へ行ったはずです。

ただ、あの女の子や教室のみんなの態度はどこか違ったような気がします。

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記憶はまた途切れ、その年のクリスマス頃まで空白の期間があるのですが、

どうしてなのか良く覚えていません。

それと、いつの間にかドラえもんが嫌いになりました。

そしてクモを見るたびに、いつの頃からか私の部屋に置いてあったドラえもんのぬいぐるみに大嘘吐きの顔を重ね見て、

右ストレートやマウントポジションからの連続パンチを顔面に浴びせる癖が身につきました。

また、みんなが私を見るときと同じように、私もみんなをどことなく陰湿な目つきで見るようになった気がします。

幼い頃に身に付いた癖というものはなかなか抜けないもので、

以来、ドラえもんのぬいぐるみはあちこち破けて、形もいびつな球体になっていますが、

それでも接着剤やなにやらで直しては殴り、殴っては直しています。

ぬいぐるみの形に合わせて、あの大嘘吐きの顔の記憶もぼやけてきましたが、

あの女の子の顔は今でも鮮明に思い出します。そして、押し入れの中で両手掛かりで彼女の口を塞ぎ、

「黙れよ!黙らないと一生ここから出してやらないからな!」

と、繰り返し彼女に言い聞かせているという錯覚に襲われます。

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幼い頃はこんなことがあったのですが、それ以後は何の変哲も無い生活を延々と送ってきました。

特筆することは何もありません。

今回は幼い頃の思い出と突然起きた人生の転機を告白しました。

しばらくの後、アンダーグラウンドBBSと呼ばれたセンターネットやあやしいわーるどに出会ったとき、

再び転機が訪れるのですが、この話はまたの機会にしましょう。


CC0

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