規制したい人というのはどこにでもいます。
反社会的な行動を律し、排除する目的がほとんどです。
自分が反社会的な人間であっても、同じ人間を増やさないようにと希求する人もいます。
寄生したい人というのはどこにでもいます。
自ら何も産み出さず、生み出す人、社会にまとわりついて肥え太り、生きます。
寄生される人や社会、あるいは国家にその余裕がなくなると、寄生する人を切り捨てる動きが出てきます。
体力を奪われないようにそれらの関心はやがて「規制」へと移り、「寄生」を「規制」するようになります。
既成したい人というのはどこにでもいます。
自らが行動したという履歴、自己正当性が欲しいあまり、事実を創り上げるのです。
そうして創作された「既成」は、社会、人への「寄生」を正当化し、あまつさえ既成の外にいる人達へ自らの「寄生」を強います。
そういった正統的な「寄生|既成」は「規制」を跳ね除け、肥大します。
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