自分自身が考える「自分という存在」と、周りの人間が感じている「自分という存在」が一致しないように
自分自身が抱える誰かに助力を請いたい問題と、周りの人間が感じているそいつの問題もまた一致しない。
同じように子供の本当に求めている救済と、大人が勝手に考えた独りよがりの救済も違う物だと思う。
丁度あいだに立っている人間だから分かる、根本的に「救う」という形がまるで違っている。
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