2010-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20101029004024

やっぱり理解者の不在だったり、愛をくれる人の不在

人が生きていくために「理解者」や「愛をくれる人」が不可欠であることに異議はないよ。

ただ、一生を通じて「理解者」や「愛をくれる人」が側にいるとは限らない。むしろ「不在」であることのほうが多い。それでも、平然と生きている人が多いのは「現在は不在だけれど過去にはいた。だから、未来にはいる可能性が高い」と信じていられるからなんだよね。

ただの一度も「理解者」や「愛をくれる人」に出会わなかった人、出会っていても信じられなかった人は、常に「人が側にいること」を求めてしまい、結果的に「一人でいるしかない」ことに絶望することになる。

だから、友人として、そういう人を助けようとするとき、要求を飲んでいると際限がなくなることがあるんだよ。

通常、生まれてすぐ、親なりに愛されて育つから、「愛されない状態」が普通の人のことって、理解しにくいだろうと思う。赤ん坊がわけもわからず泣くのと一緒で、(自分の要求を満たしてくれそう)と思ったら、とことん要求してしまったりするので、あまり、巻き込まれず、つかず離れずが、お互い楽だと思うし、それで、間に合わなくても仕方ないんだ。もともとの要求が過大すぎるんだから。

って、そういう話をしたかったんだ。

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