触発されて全然関係ないこと書くけど、「人の気持ちを考えない人」って意外と好かれるよね。種類にもよるけど。
どうしてかって考えたんだけど、「人の気持ちを考えない」→「自分のしていることが他人に嫌がられるとは考えられない」→「自分は人に好かれる人間である」→それが他人に伝播→「他人もその人を好きなる」ってなってるんじゃないかと思うんだ。
「私は好かれる人間です!」という無根拠で圧倒的な自信。それは他人にも同調させる力があるのではないだろうか。まず自分で自分のことを好きになるのが大事。そうすると他人も自分のことが好きになるという。
一方、いつもビクビクして「この行動は他人に嫌われないだろうか」と思ってるような人は「私はちょっとしたことで他人に嫌われるような人間です」と自己申告して歩いてるようなものなんじゃないだろうか。するとそれが他人に伝播し、「この人は他人に嫌われるようなことをちょいちょいやっちゃうような人」と思われるのかもしれない。
「他人に好かれようとする努力」は実際に得られる結果と反比例するのではないか、というお話でした。
とは言えあんまり自分勝手だとやっぱり最後には嫌われるし、ちょっとした気遣いが認められて気の利く良い人認定を受けることもあるし、まあほどほどにってことだと思うんだけど、俺みたいなビクビク系はもうちょっと自分を肯定してあげたい、なのにそれができないという苦しさにいつも包まれてる。
こうすればああなる、ああすればこうなる、みたいな公式をザックリ作っても、今度は自分の心と体がその通りに動いてくれるかってとこに次の問題が発生しちゃうよなあ。
お前字きったねえな、とかさ、自分でも気にしてんだから何回も言わなくてもいいじゃない。そんなにきたねえきたねえ言われるとさすがに傷つくわけよ。 相手は悪気あったわけじゃな...
触発されて全然関係ないこと書くけど、「人の気持ちを考えない人」って意外と好かれるよね。種類にもよるけど。 どうしてかって考えたんだけど、「人の気持ちを考えない」→「自分...
「私は好かれる人間です!」って人間を否定して、十分肯定してるじゃないか 裏表がある人間は好かれないって単純なことでしょう