なんだろう。
俺自身は好きな女の為だったらこの身を捧げてもいいと思ってる。
結局それが性格の悪い女で、金にあざとくて、セックスがおざなりだとしても。
いや、言い過ぎた。さすがにそれはきつい。
よく依存するのはよくないと言う。
例えば最愛の人の行動如何で自分の私生活がメチャメチャになったりするのは依存している、と思う。
でも、心を占有している割合で言えば、恋人というのはすごく大きいと思うし、それは間違っていないと思う。
俺は好きな人がいて、その好きな人は俺の事を好きでいてくれて、一緒にいない時は寂しい。
好きな人が励ましてくれれば元気が出るし、好きな人が落ち込んでいれば悲しい。
それは依存しているという事なのか?
驕りというのはわかっているけども、俺はそれなりに周りに必要とされる。
けど、そこで一番の問題が俺自身が人と関わる事が億劫なんだ。
だからといってニートになってもいいという訳ではない。あしからず。
そりゃ時折寂しくなって誰かに会いたくなるけど、それは特定の誰かであればそれでいいし、利害とそれなりの友情で結ばれた世界なんて欲しくない。っていうのが子供なんだというのは重々分かってる。
だから自分で会社をやってみようと思ったら案外それなりにうまくいっちゃって、じゃあ俺の生き甲斐っていうか生きる意味何ってなった。
そこで俺は冒頭の好きな女の為に生きるって事が漠然と浮かんだんだけど、結局それも一時の気の迷いなのかもしれない。いつまでも綺麗な女性がいないように。
結局俺の生きる意味って何だ?
勢いでただこのメランコリックな気持ちをうやむやにすればいいのか?
結局俺は誰で、何者なんだ。
結局俺は誰で、何者なんだ。 ぼくはきみを知ってるよ。きみは増田だ。
ははは、そうだね。どこの誰でもない俺なんだ。それはわかってる。 でもまぁ、なんとなくどこの誰でもない所は少し分かる気がするよ。
おめでとう。