人が自殺をしようとするのを、なぜ人は止めようとするのか。
例えば、ビルの屋上から飛び降りようとしている人を止めようとする人がいる。「自殺するぞ」と言って立て篭もる人を説得しようとする人がいる。
「生」のウィキペディアに『対義語は「死」』と書かれているが、この地球上に産まれた時点で勝手に備わっている生と、その終結である死は同等ではない。確かに生と死は同時に存在しない、表裏一体の現象だろう。
しかし今呼吸をしている瞬間だって「生」を意識していなくても「生」の状態なのに、自殺による死は自然の状態ではない。(老死や病気による死などは除く)
毎日死んでいたけど、ある日突然生きることになりました!的な人なんて居ないし…対等ではない対義語に疑問を抱く。
そんな事を考えていたとき、ふと動物ドキュメンタリー番組の映像を思い出した。
ヌーの群れにライオンが突っ込んで逃げ遅れた1匹をライオンたちが一旦捕まえるけれど、一度逃げたヌーたちが戻ってきてライオンを撃退するっていう内容。
もしかしたら同じ種の生命を守ろうとするのは生き物の摂理なのかもしれない。
しかし人間は複雑に考える脳と感じる心を持った生き物である。
死にたがる人に対して無暗矢鱈に「死ぬな!」と説得するのは逆効果だと思う、なぜ死を選ぼうとしているのか理解してあげることの方が大切かな?
自殺の中のほとんどは気の迷い。 人生の中で心が弱くなる場面は誰でもいくつかはある。 精神的に追い詰められれば死のうとする。 だが、それは一時的なものであって、長期的な問題...
死ぬ時何を考えたか、イタコ呼んで口寄せすれば解決だな
現代における自殺っていうのは、戦中の兵士が自決したり中世の日本で武士が自ら死を選ぶ様な実用的あるいは形式的で意味のある死ではないでしょ。 ほとんどが「精神的におかしくな...
まるで現代の日本でない自殺が精神的におかしくないかのような言い方だな。