もともとは一緒に日本にいたのだけど、不景気のために俺の収入が少なくなったため、妻は母国の方が物価が安いから、と言って子供を連れて帰国した。そして、妻は母国で仕事を見つけそこで働き、俺は日本で仕事を続けている。
時々妻のところに電話をかけているのだけど、そのときに子供の声を聞くと涙が止まらない。寂しさと、一緒に暮らすことを維持できなかった自分のふがいなさに、情けなくも、俺はただ泣くことしかできない。
ふと、俺は何のために生きているのだろうか、と思うことがある。子供たちと幸せに暮らすことすらできない自分なんぞに、生きる意義があるのだろうかと。その答えは俺にはいくら考えても分からない。
低脳の癖に思い悩む日々の中、電話をすると、離れ離れになってしまった子供たちが、いまだに俺のことをお父さんと呼んでくれている。話をしてくれる。それは俺にとって嬉しくもあり、自分の情けなさを改めて思い起こさせるものでもある。
子供たちにはただすまないという気持ちしかない。ごめんなさい。
生きる意義がないと思うのなら、自殺をすればよいのだろうけど、臆病者の俺には死ぬことが恐ろしくて、とても自殺などできそうにない。自分の情けなさに呆れ、嫌悪しながら、なおも生きることしかできない俺には、今の状況はふさわしい。ただ、悔しく悲しい。