2010-04-12

誰かに何かを”謝る”という事

私には恋人が居た

同じサイトを2人で運営してた

別れてから暫くはサイト放置してたが、そのうち自分1人で色々書いていた

最近、相手のページになにやら更新があった

謝りたいそうだ

付き合っていた当時の事

別れた理由についての事

謝る文章が綴られていた

誰かに、何かについて、謝るという事

それは過去自分は誤りであったと否定する行為か

それとも、関係修復の為の技術

その彼女とは、何度も別れて付き合ってを繰り返した

三角関係にもなり、修羅場にもなり、互いを酷い方法で拒絶して距離を置いたこともある

「これが最後」が最も陳腐な意味を持つようになった

文章の最後には、現在アドレス電話番号が書いてあった

「もう、やめておけ。互いの為にならんし、結末は同じだ。そこにお前の望むものはない」

右耳からそう聞こえる

「そんな事を言っても気になるんだろ?連絡だけなら取っても良いんじゃないか?それに、今度こそ上手くいくかもよ?」

左耳からそう聞こえる

連絡は、取れない

取れないし、取らない

けども、連絡をされたら、電話が掛かって来たら

きっと拒否が出来ない自分が居る

けど、きっと、そこに愛情はないんだと思う

互いに行き場のない寂しさがあって

それを押し付ける矛先として、自身にとって都合の良い相手が居るだけ

そこに相手への思いやりとか愛しさとか大切に思う気持ちは、きっと、無い

そこにあるのは、それぞれが求めてるものは

一個の人格をもった人間ではなく、血の詰まった高性能な抱き枕に過ぎない

それが、きっと相手にも分かってる筈

何となくだとしても、感覚的に理解している筈

それでも、理解していても、連絡を取ってしまったら止められない

高性能抱き枕しか理解できない、欠陥だらけの自分は、もう変えられないんだろうな・・・

人間がちゃんと、相手の人格存在を認めて愛する事が出来るのかどうかを、私は知らない

出来ないとしたら、それはあまりにも救いの無い話ではないか、と欠陥を持つ自分は思う

願わくば人間が肉袋ではなく人間を愛する事が出来ますように

他人を愛せない、欠陥人間の唯一の願いです

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