駅の柱にもたれて虚空を睨んでいるおじさんを見ると、その人の心中やこの先のこと、彼の母や父や友人や少年時代を、想像して辛くなる。
寒空の下にかがみ木箱を一つ置き、「くつみがきます」という立て看板を置いて商売をしているおじさんの、下手な字を勉強した時のことや、今の彼の楽しみや、昔の彼の趣味を想像して辛くなる。
立て看板を持って雑誌を売っているおじさんの傍を通り過ぎる時、もし財布の中の小銭を彼に渡したら彼の声を聞いてしまうだろう、声を聞いたらきっとすごく後悔するだろうと想像してそっぽを向く。
この時期は毎日辛い。凍死するホームレスのニュースを聞くと辛い。自己責任論を聞くと辛い。どうしようもないことが辛い。ささやかな幸せという言葉が辛い。不平等が辛い。
できないんじゃなくてしないんだよ、しないからこうなるんだよ、そんな言葉を聞くと辛い。しないことは辛い。努力できない人は辛い。努力しない人は辛い。努力しても報われなかった人は辛い。
生きるって辛い。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。
憐れで仕方がないんです。悲しいんです。けれど私は悲しむ以上のことをしません。正確に言うとできません。人に同情している私が何か慈善活動的なことをしたら、悲しい気持ちが取り返しのつかないレベルの変化を起こしそうでできないです。
具体的にどんな変化なのかというのは分かりませんが、ただ、私はずっと悲しんで、憐れんで、辛いと思っていなければいけない気がするんです。そしていつか世の中のために死んで、初めて、私の色んな償いが済む気がするんです。
前段階である同情などで手を差し伸べたら、人を見たときの心がちぎれるような感覚がなくなってしまいそうで怖いです。
もうずっと悲しい。悲しい。悲しい。