最近、お笑い番組がおもしろくない。
なぜなのだろうか?
10年前と比べてお笑いのレベルが低下したというわけではないのは、
M1などをみていても感じる。
非常にテンポも早く、緻密にネタが練られているのをかんじる。
しかし、あきらかにTVをつけていてもバラエティなどお笑い番組を見よう
という気にはなれなくなってしまった。
ここからは主観が入るが、見ていられない自分を分析しているとお笑い
というのが極端に空気を読み、辛いこと自らしないといけない雰囲気を
出演者に強い、それを当然のこととして受け入れろと視聴者にも強いているから
ではないだろうか?
お笑いとはつまり、アホなことや恥なことをしてボケた人間を、叩いて笑う世界である。
10年ほど前には、私は学生だったので、そういうものを当然のこととして受け入れ、
またそういった事を笑うことが出来ていた。
単純に世界はそういうものなのだと思うほど未熟だったのかもしれない。
しかし、大学も卒業し、社会に出て、またインターネットなどで様々な世界の常識を見て
分別もついてくるとお笑いという世界がなんとも不思議というか、
むしろ最低な世界に見えてきたのである。
上にも書いたのですが、お笑いは辛いことを強制して、それに答えられない(空気を読めない)
人間は存在していられない世界です。
そして、もちろんその世界を視聴者に見せることにより、世の中の雰囲気を作り出してもいる
のだと思います。
しかし、これってよく考えれば、全体主義意外の何者でもないのですよね。
当然、日本的なモノといってしまえばそれまでなのですが、日本的なモノも時代と共に変わって
いる事を考えると私自身がお笑いを受け入れられなくなったように、以前よりも日本人は個人主義になり
何かを強制するような事に反感を抱くようになってきたのではないでしょうか。
アメリカを例に出すまでもないですが、多くの先進国で人の頭を叩くことは超が付くほどの非常識です。
なぜなら人には尊厳があり、それを守ることが大事で、人の頭を叩くことは暴力ということだけでなく侮辱に値
するからです。
つまり個人の尊厳を守ろうという姿勢が一番大事にされています。
ところが日本では、民主主義の国というのに個人の尊厳を踏み荒らすような事が強いられているのですよね。
そして、お笑いの世界ではそれが高く評価されてしまいます。
全体主義がなぜだめなのかは皆さんも知っているように、個人個人の個性が評価されずある一定の型に当てはまる人だけが
評価をされるからです。
極端な例なら北朝鮮がそうであるように、型にはまれないなら殺すという世界です。
それがダメということで、どんどん個人主義が広がっているのに、未だにお笑いの世界では全体主義真っ盛りで多くの
少数派は殺されても笑っていなければいけない世界を強いられれているのですよね。
この様な世界は、ちょっと分別がついてくるととてもじゃないけど受け入れることはできるはずがありません。
はまちゃんがやっている事は、笑いながら人を殴る個人の尊厳を著しく傷つける暴力。
めちゃイケで、笑いものにしているのは、イジメでありこれもまた個人の尊厳をお著しく傷つける暴力です。
こういった事が以前まで許されていたのは、はっきり言って日本人がまだまだ未熟だったからなのだと思います。
しかし、今やほとんどの人が大学を卒業し、インターネットを使い様々な価値観を見てきています。
そういった尊厳をもった人には、いずれ自分が笑われる立場になるのでは
ないのかとビクビクしてしまいお笑いを見れなくなってしまうのではないでしょうか。
それが今のお笑いだのみのTV番組の視聴率低下につながっているのだと思います。
追記
お笑いというのは、世の中のある一部分でいいのにそれが影響力を持ちすぎたのかもしれません。
お笑い単品で生きる人間がもっと減って、何か特技がある人が、ちょっとユーモアを交えて話を
する位のお笑いが増えるといいのではないでしょう。
こういうことを言うとイヤな顔をする人がいるのだろうけど、全体主義的なもの(社会を個人より重んじる)は人が群れて社会になったら必ず要請される代物であって、個人主義的なも...