寛容を求めても得られない可能性は高まるだろうが、自分への寛容を求めたところで他人への寛容を提示する必要は無い。
結果として、寛容を得られるかどうかが重要なのではない。
寛容を求める事が、論理的に正しいかどうかだ。
仮にそれが「自己への寛容を求める事」を論理的に正しくする行為だとしても、それは他者への寛容をも包括してしまう。
でなければ、論理的に「正しく」ならない。
Permalink | 記事への反応(1) | 16:53
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「自分は特別な人間である」という前提をアプリオリなものとして語るならば、論理としての間違いは生じないよ。