増田は人が多い
売れっ子の某評論家がテレビに出始めの頃、司会者から(あーそうです、田原ですよ)なぜ棄権するのかを尋ねられ、自分の一票には重みがないと述べた 衒気だがあけすけな告白だった(当の評論家が現在棄権を続けているかどうかは不明だが、仮に投票していたとして、年金未払い発覚後に納付した政治家、テレビ人らと同様の、実のないパフォーマンスであるのはまちがいない) 実際、選挙特番の打ち合わせ(顔つなぎ)、資料整理に時間を費やした方がよほど有意義な政治行動なのだ 序列を上げメディアの寵児ともなれば、数千、数万の有権者の投票行動に、政治家、行政そのものにまで影響力を与えられる 無論これは特殊なケースである 一般の棄権理由とはならない
某番組で若手芸人が「(理念や政策など考慮せず)自分は顔だけを見て、好ましそうな候補者に入れる」と発言、それを受けた先輩芸人(あーそうです、大田ですよ)が、間違ってない、立派な投票行為であると褒めた 政治に感心を持つきっかけになれば充分と しかしこの若手芸人の選択法にはごまかしがあると思われる 彼はすべての候補者の顔を見比べたわけではないだろうし(おそらく出先で目に留まったポスター)、自分にとって「好ましい」かどうかまじまじと容貌を精査したわけでもないだろう また、投票に新聞を一時間掛けて読む以上の動機付け、情動を喚起するとは疑問だ
自らが選択、決断できない場合、比較検討能力の行き詰まりを自覚したのなら、偶然に任せるのは決して悪い方途ではない 鉛筆を転がす、コインを放り上げるのは無謀でも愚かしい行為でもない(つまり種々雑多な意思を持つ人々が導いた投票結果に掛けるという事 あみだで決定された候補者に自ら投票するという邪悪なノイズは除去すべきである)
今日まで、ベストではなくベターの選択をとか、組織票に一票を付け加えるに等しい行為だとか、選挙権の行使は民主主義の根幹であるとか、色々なサゼッションを聞かされてきたと思われる が、
精読、熟慮の時間も能力もなく、「より良い、よりマシな」候補者かどうかすら見極められないのだ その組織が自らに、日本の政治に有益か無益かを責任を持って判断しかねるのである(批判票、戦略的投票なる選択肢もあるらしいが、政局地図のマクロとミクロの境すら分別できないのだから問題外である) 今年死去した某女性評論家は、終戦、選挙権の知らせに歓喜はなく他人事だった、食糧難で畑の作物の出来の方が重大事であったと回想していた 投票行為そのものにこだわるのならば白票でもかまわないじゃないか
付随的な効用を付け加えておく どの党、候補者についても悪口可能なので、「無敵」とまではいかずともネット論客としては高いアドバンテージを得られるだろう いぶかしんだ相手がこちらの棄権を知り、「そもそも政治を語る資格がない、文句いうな、為政者も国民もお前たちに配慮する必要はまったくないね」等々言われたならば、「あなたたちが支える民主主義の基盤…今回の選挙で国民はそれほど冷厳な政治体制を選択したのか?」と話をすり替え、「日本は日本人だけのものではないが、政治は投票者だけのものであるべきだと。まったく複雑怪奇ですな」と煙に巻いて逃げてしまえばよい
「投票率は前回と比べ~ポイント減」といった新聞記事の一行、「この低い投票率で果たして信任されたと言えるのか?」なる評論家の一言の為、棄権を決断する 白票が一位を獲得し、新たな歴史が地上に出現するそ