小さな町に住んでいる。
明日は選挙の日だ。勝つのはいつも自民党。田舎だから。
別に支持してる党なんてないけど、なんとなく投票には行っている。
昨日、幼馴染から電話があった。
彼女は整った顔立ちで真っ直ぐな眼をしている。黒くて長い髪。
スタイル抜群で、レースクイーンもここまではいかないという程。
今は二級建築士で、一級建築士になるために学校に通っている。
いわゆる自慢の幼馴染だ。
彼女の家族は全員が創価学会員で、ときどきそんな話は聞くけれども、
今まで一度も選挙前に電話をしてきたことはなかった。
「あ、えりちゃん?急にゴメンネ。今大丈夫?」
「あのさあ・・・。」
声が震えているのがわかる。
「選挙・・・行く?」
「うん、行くよ」
「わたし、応援している人がいて・・・」
電話の向こうで強ばっている。
・・・どうしてなんだろうね。なんか、馬鹿みたいだね。
こんな日がいつか来るだろうか、と考えなかったわけではない。
沈黙が訪れる。
「わ、わたし、公明党を・・・」
彼女は、所属する組織での一員としての役割を。
果たしているのだ。良心が痛まないわけではない。
胸がギュッとなった。これ以上、聞きたくなかった。
「ああ、いいよ。どうせ応援しているところないし、このくらいしかできないけど」
言い終わらないうちに早口で即答した。
「え!?ほんと?。ありがとう、ありがとう、ありがとう!ううん、本当に?ほんま、嬉しい」
多分、電話の向こうで頭を下げてる。
駅で電車を待っていたのだけど、ホームに電車が入ってくる。
「あ、じゃあ電車が来たから。またお茶しようね」
「うん、ありがとうなぁ~」
最初の緊張感と、最後の安堵と満面の笑顔がずっしり胸に伝わった。
良かった、という思いと、消化しきれない思いが蹲る。
別にわたしの一票くらい、どこに入れたって変わらない。
特に真面目じゃない私は、なんとなく共産党にでも入れようかと思っていたくらいだ。
別にどこだって構わなかった。なのに、どれだけの人が選挙に翻弄されていることか。
今回私は、彼女の党に入れることになった。その党自体は全然、応援していない。
むしろ、彼女には創価学会を辞めてほしいと思っているくらいだ。
でも、わたしは彼女が好きだし、彼女が喜ぶ笑顔が好きだ。
ガッカリさせたくない。
たった一票じゃないか。こんなに真面目に考えたことなかったけど。
宗教に関係する党に入れるのは、自分の中で呵責があった。。
次の選挙までには、もうフラフラするのをやめて、
自分が良いと思える政党を見つけようと思う。
だけど、今はどこも応援していない。何がどうであっても構わない。
だから、大切な親友のためにわたしの一票を使うことにした。
社会で、自分の立ち位置を決めるのは難しい。
彼女は自分がどこにいて、何をしているのかを、少なくとも知っている。
私は、何かに縛られるのが嫌で、途中で放り投げた。
結果、私はいまだに結婚もせずふらふらしている。
「人の価値は記憶で決まるのではなく、行動で決まる」
昨晩、ハリウッドの映画でエイリアンがそう言ってた。
何もしないというのは、始めから何もないのと同じだ。
わたしの思想は友人票となる。
それが今回の私の行動であり、私の価値を示すものとなる。
あなたは、その一票を何のために使いますか?
http://anond.hatelabo.jp/20090829224549 現行の選挙制度化において、アナタが民主主義的観点からまっとうである証は、 誰かに1票を投じたその後に生じるものではない。 誰かに1票を投じる権利を...