2009-08-15

ふと思い出したこと

あれは確か私が医者になって4年目の事だ。

来院したとき既に末期癌だったおばあさんが居て、娘さんを呼んでお話しした結果、病名の告知をしないことになった。入院で緩和治療をしながら様子を見ていて、本人は沈みがちながらも、もの静かに過ごされていた。

が、あるとき病室に行ったら、おばあさんが泣きそうになりながら「どうして、詳しい説明がないんですか。ちゃんと説明してください」と仰る。いつもと様子が違うのでどうしたのかと思ったら、同室の患者さんの家族である50代くらいの男性が、横から「そうですよ、もっと言ってやんなさい。きちんと説明するのが医師の義務じゃないですか」というようなことを主張する。なるほど、善意の第3者が善意アドバイスをしたらしい。

ちょうどその場は娘さんが居たので、「娘さんがちゃんと聞いてくれてますよ」「そうだよ、私が知ってるから大丈夫だよ」ととりあえず二人でおばあさんをなだめ、部屋を出てから私はその50代男性をそーっと手招き。部屋の外でヒソヒソと事情を説明したところ、男性は驚いてスミマセン、と謝った。

 

この男性常識善意を疑うつもりは毛頭ない。言っている事自体は正論だし、一言伝えればちゃんと分かってくれたし、ごく真っ当な人だ。ただ少し想像が及ばなかっただけなのだろう。自分だって逆の立場で医師でなかったら、そこまでの想像が及ぶかどうか非常に疑問だ。

それでも尚、この事件(というほどでもないが)は、私の乏しい医者経験の中でトップクラスに度し難い出来事であった。

癌を告知しないという選択については色々と議論があると思うし、自分がその時点で正しかった自信もない。だから、件の男性事情を知った上で同じ台詞を言ったのだったら、これはもう全くもって仰る通りと答えるほかなかっただろう。だが彼は、そうではなかった。知らないのに横から正論めいたことを言って、患者さんと娘さんと私の関係を混乱させたのだ。

正解など無くてどの道を取るも苦渋、だが選択は必要、というような場面で、関係者がさんざん悩んで出した答え。それに安全地帯の第3者が口を出す。どんなに正論であり重要提言であっても、度し難い。とてつもなく度し難い。

 

結局その後どうしたかは良く覚えていない。私からは最後まで告知をしなかったように思うが、娘さんはもしかしたら話していたかもしれない。そうでなくとも、恐らく患者さんは事実を察していただろう。結果としてはその男性の一言で、抑えていた感情を表に出せて患者さんは救われたのかもしれない。そうであるといい。

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