一度しか体験できない人生が平凡だったかどうかなどと、誰が判断できるのだろう?
それは自分に他ならない。
自分が平凡であり、あるいは平凡にしか生きられないと考える人間は、平凡にしかなれないだろう。
だが、自分が非凡で、あるいは非凡に生きていこうと考える人間は、非凡な人生が送れるのだ。
人は誰かに生かされるのではない。
自分の人生を生きていくのだ。
平凡な道しか「選べない」、と思っている人間は、自分を生きるという事から目を逸らしているに過ぎない。
目を逸らしても、生きるのは自分しかいないのだが。
何を持って平凡とするか、非凡とするか。
行うのは自分自身。
最後に認めるのも、自分自身だ。
ツイートシェア