2009-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20090626140646

一度しか体験できない人生が平凡だったかどうかなどと、誰が判断できるのだろう?

それは自分に他ならない。

自分が平凡であり、あるいは平凡にしか生きられないと考える人間は、平凡にしかなれないだろう。

だが、自分が非凡で、あるいは非凡に生きていこうと考える人間は、非凡な人生が送れるのだ。

人は誰かに生かされるのではない。

自分人生を生きていくのだ。

平凡な道しか「選べない」、と思っている人間は、自分を生きるという事から目を逸らしているに過ぎない。

目を逸らしても、生きるのは自分かいないのだが。

何を持って平凡とするか、非凡とするか。

行うのは自分自身。

最後に認めるのも、自分自身だ。

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